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(8000系6連 三峰口 1980.1.2)


 大手私鉄各社のうち、子どもの頃から最も乗る機会の多かったのが東武鉄道です。
 路線が長いだけあって、通勤路線としての顔とローカル線の顔の双方を併せ持つ点も魅力的でした。
 現在でもしばしば乗車しますが、このページでは私が中学生の時に撮影した写真をご覧ください。
 いずれも拙い写真で、保存状態が悪くて退色も進んでいますが、この時代のカラー写真はあまり多くないでしょうから、その意味では貴重な記録かと思います。
 当時、一番よく見かけたのが、大量生産された8000系です。各停から特急まで、あらゆる列車に使われていました。
 左写真は、特急「みつみね」として、東上線から秩父鉄道へ乗り入れた姿です。
 この乗り入れは、その後廃止されてしまいました。

(8000系6連 皆野 1980.1.2)


 こちらは特急「ながとろ」です。
 やはり東上線から秩父鉄道へ乗り入れていました。

(7800系6連 寄居 1980.1.2)


 当時は大手私鉄でも、ツリカケ駆動車が多数走っていました。東武鉄道も同様で、支線は3000系が主力。伊勢崎線や東上線といった本線系統でさえ、7300系や7800系が次々にやってきました。
 本線系統では準急や急行で高速走行することも多く、「ウワーン」と響くモーター音は、重々しくて迫力がありました。
 クリーム一色の塗装はよく似合っていましたし、車内も木製で温もりが感じられました。もっとも一般の乗客はそうは思わなかったようで、新聞の投書欄に「東武線の電車は汚い」と書かれたこともありました。それに対する東武鉄道の返答が傑作で、「7800系という電車で…収容力があり、当分廃車にする予定はありません」というもの。やはり主力車として、大切に使っていたのでしょう。

(寄居 1980.1.2)


 東武鉄道は近年まで、相当な量の貨物輸送がありました。
 途中駅で電車を待っていると、茶色の電気機関車に牽引された貨物列車がやってきて、真っ黒な貨車の列が延々と続くことがしばしばありました。
 東武の貨車は広範囲に活躍していたので、国鉄や他の私鉄で見かける機会もありました。私の地元の小湊鐵道でも、バラストを積んだ東武のトラを何度も見ています。

(寄居 1980.1.2)


 貨物輸送のため、主要駅には側線が何本もあり、広々としているのが通例でした。
 貨車の種類も多彩で、見ていて飽きることがありませんでした。

(1800系6連 赤城 1980.4.27)


 当時、伊勢崎線の急行「りょうもう」に使われていたのが1800系です。
 急行とはいえ全車座席指定で、車内設備は特急レベル。フカフカの椅子に座ると、足下にフットレストがあったのを覚えています。
 当時の東武鉄道では、7300系や7800系に次いで、私が好きな車輌でした。

 

(1800系6連と8000系2連 赤城 1980.4.27)


 1800系はその後、200系の新造で「りょうもう」から引退しました。
 最新の1編成のみ団体用として残り、他の多くは300系や350系に改造されました。さらに余剰車は普通列車に格下げされて短期間使用され、廃車になってしまいました。
 接客設備が優秀で、車齢も比較的若い車輌なのに、随分ともったいない使い方をしたように思います。
 私見ですが、東上線に転属させて、座席指定特急を新設したら良かったのではないでしょうか。足回りは8000系と同じなので保守の問題もなく、「TJライナー」が好評の現状からすると、十分需要があったと思われます。


 
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