美濃町線1998 @ 前ページへ 実物鉄道へ

(モ593 松森〜美濃 1998.12.28)


 魅力的な路線ばかりの名鉄600V区間の中でも、極めつけと言えるのが美濃町線でしょう。
 のどかな田園地帯を走る、赤い路面電車。それだけでも十分絵になる光景ですが、個性的な車輌が揃い、併用軌道や鉄道線乗り入れ、続行運転まであるのですからたまりません。何度乗っても眺めても、飽きることない魅惑の世界でした。

(モ601 徹明町 1998.12.28)


 美濃町線の起点は、岐阜市街地の中心部である徹明町でした。
 ここで岐阜市内線と接続し、線路も繋がっていましたが、直通運転はしていませんでした。
 市街地をしばらく走った先、競輪場前から田神線経由で鉄道線の新岐阜駅前に乗り入れるルートもあり、そちらが始発の電車と徹明町始発の電車が合流して、続行運転で走っていました。
 単線区間の続行運転は、私は他では見たことがありません。

 名鉄美濃町線の顔というべき電車が、左写真のモ600形です。
 鉄道線の各務原線乗り入れ用に新製された複電圧車で、鉄道区間は高速で走ります。
 モ601〜606の6輌があり、当時は主力として活躍していました。
 新岐阜始発の運用が本来の姿ですが、鉄道線に乗り入れず、徹明町行きになる運用にも入りました。

 なお、徹明町始発の併用軌道区間は通常、札幌市電から来た連接車、モ870が主に使われていました。

(モ601 徹明町 1998.12.28)


 モ600形は軌道区間を走るため、車体幅が狭いのが特徴です。
 その上、車体の前後を絞っているので、正面から見るとますます細く見えます。
 昔の花巻電鉄を走った、「馬面電車」を彷彿とさせるスタイルでした。
 
 起点の徹明町は、左写真のとおり安全地帯が無く、白線で区切られた道路上が緑色に塗られているだけでした。でも実は、美濃町線の併用軌道区間の停留所は、全て同様だったのです。
 岐阜市内線も、安全地帯があったのは唯一、岐阜駅前のみ。降車の際は、左右を十分に確認してから慎重にステップを降りないと、車にはねられてあの世行きです。
 乗車の際はもっと大変で、車がビュンビュン走る道路の真ん中に立ち、本数の少ない電車を待つわけです。
 これでは乗客が減るのは当然でしょう。
 名鉄も安全地帯を設置したかったわけですが、行政側が許可しなかったとか。
 役人や政治家の意識が低いと、公共交通機関が育たないのです。悲しい話です。

(モ601 徹明町 1998.12.28)


 モ600形の車内は、左写真の通りオール転換クロスシートでした。さすがは名鉄です。
 自動車王国の愛知県や岐阜県を本拠地とし、かつては国鉄、今はJRとも並行路線が多い名鉄は、昔からクロスシート車が主力でした。乗客の逸走を防ぐには車内設備を充実させることが必要だったわけです。
 そんなわけで、乗車するとまるで特急電車。路面電車とは思えません。
 もっとも、車体幅が狭いので、クロスシートの片側は1人がけでした。
 さらに、台車が旧型車からの流用品だったので、走り出すと固い縦揺れが続き、乗り心地は地方私鉄の旧型電車と同様でした。当然、ツリカケ式で性能は平凡。高床車なのでステップが2段で、乗降には苦労します。抵抗器が屋根上に乗っているのでクーラーを載せられず、全車非冷房のままでした。


(モ603他 新岐阜 1998.12.28)


 美濃町線のもう一方の始発駅が、新岐阜です。
 左の島式ホームが各務原線、右が田神線経由で乗り入れた美濃町線用のホームです。
 長編成の鉄道線車輌の横に、チョコンと停車しているモ600形は、なかなか面白いものがありました。

(モ603 新関 1998.12.28)


 徹明町始発の電車は日野橋で折り返し、その先に行く乗客は手前の野一色で前の電車に乗り換えます。続行運転だからできるワザです。
 前の電車、つまり新岐阜始発の車輌は、新関まで行きます。
 新関駅の手前で道路から左にそれて専用軌道となり、相対式ホームを持つ立派な駅に入ります。立派な駅本屋と引き上げ線があり、乗客もそれなりに多い駅でした。
 ここは関市の繁華街に近く、少し歩くと長良川鉄道の関駅がありました。

(モ593 〜新関 1998.12.28)


 美濃町線の終点は新関ではなく、路線名の通りの美濃です。この区間はモ590形が専用車となっていて、日中は1時間ヘッドで折り返し運転をしていました。
 乗客の少ない末端区間を専用車の単行で折り返し運転とするのは、当時の名鉄の各路線で見受けられた光景です。
 乗客数に見合った輸送力となりますし、増解結の手間もかからないので、経営者側としては合理的な判断だったのでしょう。趣味的にも、変化があって楽しめます。
 でも一般の乗客にとっては、乗り換えが加わるので不便です。徹明町から美濃へ行こうとすると、野一色と新関で2回も乗り換えなくてはなりません。そして高床車のモ600形に乗ってしまうと、乗降に一苦労です。
 これも乗客が減り続けた一因でしょう。

 左写真の右側が新関です。モ590形は新関を発車した直後、再び併用軌道に入り、左折します。

(モ593 松森〜新関 1998.12.28)


 その後はしばらく、舗装道路上の併用軌道を走ります。ここまで来るとさすがに交通量は多くなく、電車は快調に走ります。
 乗っている乗客が多いのは、ちょっと意外でした。

 左写真の右側が長良川鉄道の関駅です。ここから美濃までは、両線がほぼ並行して走ります。谷汲線と樽見鉄道もそうですが、沿線人口の少ない区間に2つの鉄道が併走するのも不思議な感じがしました。
 電車は奥へ向かって走り、やがて左折して道路から離れ、専用軌道となります。
 その先はもう、ローカル私鉄そのものの情景が広がっています。
 

(モ593 松森〜美濃 1998.12.28)


 農村に伸びる単線の線路。木製の架線柱。枯れたススキの向こうを、ツリカケモーターの音を響かせて走る赤い路面電車。
 途中3ヵ所ある停留所も、いずれも素朴な造りで好感が持てました。
 そして終点の美濃は、実に素敵な終着駅だったのです。
 美濃駅の情景は、次ページをご覧ください。



   

(モ593 松森〜美濃 1998.12.29)

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