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(EF81+24系25形9連 青森 2011.12.25)


 夕刻になると次々に入線、発車していった上野発のブルートレインも、ほとんどが廃止されました。
 最後に残ったのは「北斗星」と「あけぼの」です。
 そして「あけぼの」は、残念ながら2014年3月に廃止されました。
 それにしても、国鉄時代から変わらない「あけぼの」が、よくぞ2014年まで残ったものです。
 こうして見ると、車輌は古くても独特の風格を感じます。

(EF81+24系25形9連 青森 2010.3.29)


 比較的乗車率が高いと言われてきた「あけぼの」ですが、やがて編成が短縮されてしまいました。
 本来はカニを含めて13輌編成のはずなのに、末期は年末年始や春休み中でも9輌編成でした。
 多客時は切符が取れないことも多く、増結が必要だったのですが、JR東日本はとうとう増結しませんでした。
 24系客車は大量に余っているのに、なぜ増結しなかったのか、不可解な話です。
 廃止を前提にしていたので、面倒なことはしたくなかったということなのでしょうか。

(EF64+24系25形9連 上野 2010.3.25)


 下り「あけぼの」は、上野駅入線時、尾久から推進運転でやってきます。
 かつては毎日何回も繰り返されてきたこの光景も、この時点で「北斗星」と「あけぼの」、そして週3日程度の「カシオペア」のみでした。
 EF64が旅客列車を牽引するのも、「あけぼの」が最後でした。

(EF64+24系25形9連 上野 2010.3.25)

(EF64+24系25形9連 上野 2010.3.25)

(EF81+24系25形9連 秋田 2010.3.26)


 小学生の頃、秋田県の親類宅へ行くため、奥羽本線に何回か乗りました。いずれも日中でしたが、車内から主要駅のホームにぶら下がる「あけぼの乗車口」という札を見て、憧れを感じたものでした。
 その後、山形新幹線の開業と延長のため、本来の奥羽本線経由ではなく、かつての「鳥海」のルートで青森を目指すこととなりました。
 何だか違和感があったのも事実ですが、「あけぼの」が残ったのは良かったと思います。

(EF81+24系25形9連 秋田 2010.3.26)

 「あけぼの」には個室A寝台の他、リーズナブルなゴロンとシートが連結されており、ソロも2輌つないでいました。
 安価に利用できるソロはありがたいのですが、他の寝台特急に比べて「あけぼの」のソロはとても狭いのが特徴です。
 私は気にしませんでしたが、体格のいい人には、少々つらかったかと思います。
 荷物置き場が無いのも困りものでした。

(EF81+24系25形9連 弘前 2010.3.29)


 こうして「あけぼの」の写真を眺めると、JRマークを除けば国鉄時代と変わらぬ、正統派ブルートレインの姿をしています。乗客にとっては進歩が無かったわけですが、趣味的にはやはり魅力的です。
 東北の寝台特急らしく、ヘッドマークが雪で覆われています。

(EF81+24系25形9連 弘前 2010.3.29)

 東北新幹線が新青森まで伸び、上野と青森が短時間で結ばれました。
 「あけぼの」は経由路線が違うとはいえ、影響はあったことでしょう。
 車輌の老朽化も進み、新製などするはずもなく、寿命を迎えました。
 でも一定の利用客はあり、多客時には切符が取れないほどでした。
 会社側としては、廃止は予定通りだったのでしょうが、釈然としません。

(EF81+24系25形9連 青森 2010.3.27)

(DE10+24系25形9連+EF81 青森 2010.3.29)


 夕刻、青森駅へ入線時の上り「あけぼの」は、機回しをせず、DE10の牽引で逆走してきました。こんなところに、合理化されていない楽しさがありました。
 むろんJRの会社側にとっては、手間と人手を必要とする列車だということになるのですが。

(DE10+24系25形9連+EF81 青森 2011.12.25)

(EF64+24系25形9連 上野 2010.3.30)


 上野駅に到着した上り「あけぼの」の、最後部のカニ。
 窓から中をのぞくと、右写真の通り、巨大なディーゼル発電機が鎮座し、けたたましい騒音を立てています。
 でもこの光景は、もう見られなくなりました。
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