銚子電気鉄道  
2008〜2013
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 (デハ702+デハ1001 犬吠〜君ヶ浜 2009.6.16)


 小学校5年生の時、初めて銚子電気鉄道に乗った時の衝撃は、今でも鮮明です。施設も車輌もボロボロ。乗車したデハ301は都電のようなビューゲルを載せ、速度も都電並み。走り出せばひどい振動。翌日乗車したデハ201は、手動ドアのニセスチール車。仲ノ町車庫には2軸客車とB型凸電。いったい、いつの時代かと唖然となりました。
 この時の写真は、次ページに掲載してあります。

 今は、多くの駅舎や電車もきれいになり、レールも太くなって乗り心地も向上しましたが、地方私鉄の魅力は十分残っています。

 ツリカケ車が健在で車輌がバラエティに富んでいた、2008〜2013年頃の様子をご覧ください。

(デハ701・デキ3 仲ノ町 2009.10.11)

(デハ801 西海鹿島〜君ヶ浜 2010.7.19)

(デハ1001 銚子 2008.7.29)


 伊予鉄道から来た元京王2010系の登場まで主力だったのが、この2輌。
 元・営団地下鉄の2000形ですが、見事に地方私鉄の電車となりました。
 日立電鉄なき後、営団の旧型車に乗車できるのは、ここだけでした。

 現在は2輌とも引退しました。

  

(デハ1002 仲ノ町 2009.6.16)

(デハ1001 仲ノ町 2013.8.9)


 以前、「桃太郎電鉄」塗装だったデハ1001はその後、営団地下鉄銀座線色になりました。妻面の車番2046は、銀座線時代のものです。
 車内は「桃太郎電鉄」のままだったのはご愛嬌。
 営団2000形には、やはりこの色が一番似合います。次ページの「桃太郎電鉄」色と比べてみて下さい。全く別の、魅力的な車輌になりました。
 工場の側や田園地帯を単行で走るのは、ちょっと違う気もしますが。
 デハ1001は2016年春に引退しました。

 一方、デハ1002は丸ノ内線色に塗られました。正確には、サインカーブの無い、方南町支線色です。その昔、方南町支線では、この塗装の2000形が2輌編成で走っていました。
 方南町支線は乗客が少なかったので、16m車の2連で十分だったのでした。
 妻面にはやはり、旧車番2040が入っています。
 地下でしか見たことの無い塗装ですので、やはり若干の違和感はありましたが、懐かしい塗装なのは間違いありません。
 185系湘南色とかE233系山手線色とか、今はやりの「なんちゃって旧塗装」に比べれば、種車が本物ですから存在感がありました。
 営団色に塗った銚子電気鉄道の皆様の「英断」に、敬服します。
 デハ1002は2015年に引退しました。

(デハ1002 仲ノ町 2013.8.9)

(デハ1002 笠上黒生〜西海鹿島 2013.11.18)

(デハ801 銚子 2009.10.11)


 デハ801は、伊予鉄道から譲り受けた車輌。定員は、銚子電鉄最大で、登場時は主力車でした。 
 1950年製で、銚子電鉄初の戦後製車輌となりました。
 現在ではあまり見られなくなったツリカケ駆動車としても、貴重な存在でした。
 前後で顔が違っています。

 現在は引退しました。

(デハ801 仲ノ町 2010.7.19)

(デキ3 仲ノ町 2009.6.16) 

 デキ3はあまりに有名な銚子電鉄のマスコット的電機。現在は検査切れで留置中。

 2009年秋に、従来の黒一色塗装から、懐かしい二色塗り分けの旧塗装へ戻りました。遠い昔、私が初めてデキ3を見た時が、この色でした。もっともその頃は、こんなにきれいではなく、もっと色褪せてくすんだ感じでしたが。
 左が黒一色だった頃のデキ3で、右がツートンカラーになった姿です。



 

(デキ3 仲ノ町 2009.10.11)

(デハ701 仲ノ町 2010.7.19)

 2輌あった700形。近江鉄道から譲り受けた車輌で、ご覧の通り前後で顔が違います。
 銚子電鉄で総括制御ができるのはこの2輌のみでした。
 この700形も他形式と連結すると総括制御ができず、各車に運転士が乗る協調運転となります。
 かつては各地で見られた協調運転も、日常的に見られるのはここが最後でした。
 本形式もツリカケ式駆動車でした。

 現在は引退しています。

(デハ702 仲ノ町 2009.6.16)

(ユ101 外川 2008.7.29)


 「澪つくし号」として、銚子電気鉄道の看板となったのが写真のユ101。
 何度か乗車したことがありますが、潮風に吹かれる快適さに加え、国鉄2軸貨車の乗り心地を体験できる貴重な車輌でした。外川ではデハによる機回し、銚子ではデハ2輌によるプッシュプルという贅沢なおまけも付きました。
 老朽化が進んで、この時点で休車中。復活の日は来ず、このまま廃車となりました。

 

(ユ101 外川 2009.6.16)

 (デハ301 外川 2009.6.16)


 遠い昔、私が初めて銚子電鉄を訪れた時に乗車したデハ301は、2009年秋まで健在でした。
 ただ、末期は屋根に架線検査用の台を乗せ、事業用車となっていました。車内は様々な物品が置かれ、倉庫代用にもなっていたようです。
 車体はボロボロで車籍もなく、この時点で旅客車としての使命は終わっていました。

 (デハ301 外川 2009.6.16)

(デハ301 外川 2009.10.11)


 左写真は、デハ301最末期の姿。
 用途は不明ですが、窓から木製の棚のようなものが突き出しています。4ヶ月前に撮影した上の2枚には写って無いので、その後追加したわけですが、何に使っていた物でしょうか。

 車体の塗装は、内野屋工務店傘下になった頃に塗られた派手なもの。デハ301にも他の電車にも、まるで似合っていませんでした。
 木製の窓枠を白く塗り、アルミサッシに見せていたのが泥臭く、何ともわびしさを感じさせました。

 デハ301はこの写真を撮影した10日後、残念ながら解体されました。
 貴重な買収国電残存車であり、個人的にも思い出の車輌でしたから、やはり保存してほしかったと思います。

(デハ1002+デハ702 仲ノ町 2009.6.16)

 
 車輌数が少ない割には、塗装がバラエティに富んでいます。
 多彩なのは駅も同様。いかにも地方私鉄の終点らしい外川は大好きな駅ですが、写真の仲ノ町はヤマサ醤油工場内の駅という感じで実に魅力的。本線上を工場の配管が超えている所などは、岳南鉄道と似ています。

(デハ701+デハ702 仲ノ町 2008.7.29)

(デハ2001+クハ2501 外川 2009.12.30)


 ツリカケ車3輌と交代すべく、伊予鉄道から譲り受けたカルダン車。その昔、伊予鉄道で何度か乗りました。
 元は旧京王帝都の2010系です。銚子では2000形となりました。
 はるばる四国から船で輸送されてきたのは、むろん現代の鉄道線では珍しい600V車だからです。
 左写真の顔が違うのは、伊予鉄で中間車に運転台を増設したためです。
 2000形は2輌編成2本が導入され、うち2001編成は京王帝都時代の緑色に戻されています。写真は登場直後、まだピカピカのときです。
 それこそ遙か昔、私が子どもの頃に見慣れた姿です。まさかこの色の2000系に、関東の地で再会できるとは思いませんでした。

(デハ2001+クハ2501 外川 2009.12.30)

(デハ2002+クハ2502 笠上黒生 2009.12.30)


 2001編成の搬入直後の様子。
 船から降ろした後、トレーラーで笠上黒生駅の3番線に運ばれてきました。
 塗装はまだ伊予鉄色です。

(デハ2002+クハ2502 笠上黒生 2009.12.30)

(デハ2002+クハ2502 笠上黒生 2013.8.9)


 デハ2002+クハ2502はその後、広告ラッピングを経てアイボリーに赤線の京王色に塗られました。現在は旧銚子電鉄色になっています。

 クハの運転台は伊予鉄道時代に増設されたものですが、この色に塗られると京王の名車5000系に似ていて、いい感じです。

(デハ2002+クハ2502 犬吠 2013.8.9)


 左写真がデハ2002、右写真がクハ2502の運転台。
 アナログの機器が並び、いかにも初期高性能車ですね。

(デハ2002+クハ2502 観音〜本銚子 2013.8.9)

(デハ2001+クハ2501 西海鹿島〜海鹿島 2013.11.18)

(デハ701+デハ702+デハ801 銚子 2010.1.23)


 ツリカケ車の最後の3連。
 ワンマン化改造されず、長らく団体専用車となっていたデハ702は、この日とうとう引退しました。
 屋根上のPS13が3基並ぶ姿も、これが見納めです。
 3輌とも車齢が高い上、長年潮風に吹かれたために、車体内外の痛みが目立ちました。

 その後、デハ701とデハ801も引退し、カルダン駆動車のみとなりました。

(デハ801 犬吠〜君ヶ浜 2010.7.19)


 銚子電気鉄道も着実に近代化が進行中です。
 最近まで全て木製だった架線柱はコンクリート化が進み、車輌も伊予鉄道からのカルダン車が6輌入ってツリカケ車と旧営団車を置き換えました。
 でも、潮風の中をのんびりと走るこのムードは、今後も変わらないでほしいものです。
 むろんそのためには、鉄道自体が存続していかなければなりませんが。
 
 経営の苦しさは再三報道されていますので、私も訪れるたびに、犬吠駅の濡れせんべいや観音駅のタコ焼き等を購入しています。些少ですが、支えになればと思いますので。

 左写真は、「ありがとう1986〜2010」というヘッドマークを付け、最後の活躍をするデハ801です。



 次ページは1976年に初めて銚子電気鉄道を訪れたきの写真です。
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