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(ハイモ180-101 藤並 1997.8.13)
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有田鉄道は、有田ミカンを運ぶために建設された鉄道で、紀勢本線がこの地に伸びるより早くから営業していました。
戦時中に不要不急路線として短縮後は、紀勢本線の藤並から金屋口まで僅か5.6kmの小私鉄でした。
国鉄の貨物大合理化で1984年に貨物営業を廃止後は、まことに細々と旅客営業を続けていました。
末期のダイヤは平日のみ5往復で、休日は全便運休という信じられないものでした。
車輌は事実上、樽見鉄道から譲り受けたレールバス1輌のみ。鉄道部門の職員も1名だけ。模型鉄道でもこれより小規模な例は滅多にないでしょう。
会社の実態は、既にバス会社でした。 |
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(ハイモ180-101 金屋口 1997.8.13)
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レールバスの車内。
下り列車の乗客は、私と地元の男性1名だけで、折り返しの上り列車は私だけでした。
やはりレールバスを運行していた、末期の南部縦貫鉄道より少なかったのです。
2軸レールバスが車体を持て余すようでは、公共交通機関としての役割は終わったと言わざるを得ないでしょう。
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藤並を発車後しばらくは紀勢本線と平行して走りますが、やがて右に分かれます。
沿線にはそれなりに住宅や学校があり、南部縦貫鉄道などより立地条件が良好でした。以前はラッシュ時に2連が走っていたのも、うなずけます。
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やがて列車は、広大なミカン畑の中を走ります。
かつては収穫期になると、運びきれないほどのミカンが集まったそうです。
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終点の金屋口駅は、有田川の堤防脇にありました。
駅本屋は味気ない近代建築で、情緒が感じられません。
駅前はガランとして人影も無く、寂れた雰囲気でした。
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堤防上から撮影した金屋口駅。
長いホームが哀れです。
向かって右側の車庫内には、富士急行から譲り受けたキハ58003がいます。片運転台だったキハ58001とキハ58002の廃車後も、両運だったため予備車として残っていました。でも予備車とは名目だけで、もう走ることはありませんでした。
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左上写真と同一地点から、藤並方を撮影したもの。
当駅以外は全て棒線化されていたので、この時点で有田鉄道のポイントは、この写真に写っている3基のみでした。
「レイアウトを作るスペースが無い」と嘆いている方も、この規模なら模型化できるのではないでしょうか。車輌も、動力車1輌と車庫内のダミーだけでいいので、簡単で安上がりです。
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(ハイモ180-101 藤並 1997.8.13)
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かつてはミカンを満載した貨車が並んでいた藤並駅も、末期はこんなにわびしい姿となっていました。
この後、運転本数は平日のみ2往復にまで減らされ、2002年12月31日には遂に廃止されました。
でもレールバスとキハ58003は、金屋口駅跡に保存されているそうです。
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