小湊鐵道 実物鉄道へ 表紙へ  2022.1.22 更新

(キハ200形2連 里見〜飯給 2014.5.4)


 現代の日本で、非電化地方私鉄の典型といえるのが小湊鐵道でしょう。
 以前、『レイルマガジン』誌に「小湊鐵道・正しい日本の田舎の風景」と書かれていましたが、まさにその通りです。ストラクチャーもシーナリィも車輌も昔のまま。半世紀前と、ほとんど変わらない情景が現存しているのです。
 現役車輌は日本車輌製のキハ200。14輌あり、機関は全車、昔ながらのDMH17C。変速機はTC2。かつて日本中にあまた存在したこの組み合わせも、日常的に使われているのはここだけとなりました。

 キハ200は、209と210を除き、1980年代後半にバス用クーラーの取り付けを行いました。でもサブエンジン式なので、効きは今ひとつです。
 201〜206は、車体更新も行っています。施工は当時の新潟鉄工で、1輌ずつ貨物列車の最後尾に連結されて回送されました。当時はまだ、五井駅構内で内房線と線路がつながっていたのです。私も津田沼駅で貨物列車の通過を眺めていて、最後尾にキハ200がいて驚いたことがあります。

(キハ207他4連 月崎〜上総大久保 2014.11.23)


 通常は単行か2連ですが、多客時には最大4連まで増結します。
 1990年代まで、平日の朝は五井発上総牛久行き下り通学列車が4連で、上りは3連が複数走りました。
 また、過去に1度だけ、「駅からハイキング」参加者輸送のために6連が走ったこともありました。
 私が乗った最長編成は、小学生の時に乗車した5連です。これは複数の小学校の遠足用集約臨時列車で、養老渓谷行きでした。上総牛久〜養老渓谷間は、列車交換のために里見に停車した他は、全駅通過でした。

(キハ201他2連 養老渓谷〜上総中野 2014.11.23)

 里見から上総中野までは、山間部を走ります。房総丘陵には高い山が無いのですが、それでも昼なお暗い山陰や林の中を通ります。
 左写真で先頭のキハ201は、1961年日車製。日本で最古の現役気動車です。
 でも、60年以上前に製造されたとは思えないくらい、よく整備されています。
 前年に新潟鉄工で製造された紀州鉄道キハ603が、現役末期は疲れ果てた姿だったのとは対照的です。
 小湊鐵道スタッフの、技術力の高さを物語っている事例といえるでしょう。
 

(DB4+ハフ101+ハテ102+ハテ101+クハ101
 光風台〜上総山田  2020.10.24)

 
 2015年11月、北陸重機で新製された「里山トロッコ」編成が登場しました。1977年製のキハ213・214以来、38年ぶりの新車です。
 当初は里見〜養老渓谷間で運行される予定でしたが、現在では五井〜養老渓谷間、五井〜上総牛久間で走っています。
 4号蒸機を模したDB4も良くできていますが、2軸客車4輌が秀逸。21世紀に2軸客車が新製されるとは、驚異です。さすが時代を超越している小湊鐵道ですね。

 計画や試乗会、そして登場直後の様子は、「小湊鐵道里山トロッコ列車」ページをご覧ください。
   
 

(キハ40 2 上総牛久〜上総川間 2022.1.8)

 
 2021年、JR東日本から購入したキハ40が走り始めました。
 キハ40は全部で5輌。最初に登場したキハ40 1とキハ40 2は只見線で走っていた車輌で、40 1は小湊鐵道色に塗り替えられました。

 車齢は40年を超えていますが、キハ200と混結できて台車も基本的に同じ、何より国鉄型なので頑丈にできています。片開き2扉で、セミクロスの車内は地方私鉄向きです。
 近年の地方私鉄は新車の導入が基本ですが、高価で寿命が短いNDCより信頼性と実績のあるキハ40にした小湊鐵道の選択は、妥当なものでしょう。
 趣味的にはもちろん、キハ40の方が断然嬉しいですし。

 キハ40にはいろいろありますが、保守を考えてコイルバネ台車、エアコンは機関直結の車輌を選んだそうです。

 それにしても2020年代にキハ40を新規導入とは、さすが小湊鐵道ですね。
 

(キハ40 1 上総牛久 2021.12.4)

 

(キハ40 2 上総牛久 2021.5.5)

   

(キハ5800 五井 2012.6.23)


 五井機関区の名物となっているのが、倉庫となっているキハ5800の廃車体です。長い長い休車期間を経て廃車となってからは、機関庫の中で留置されたまま現在に至ります。
 ご存じの通り、元は京浜間電化時の木造院電で、三信鉄道デ301を経て買収国電クハ5800となり、小湊鐵道入線時に気動車化された車輌です。現存する日本で唯一の電車改造気動車として、貴重な存在です。
 この写真は、イベント時に庫外へ引き出された時のもの。車体も台車も電車型。パンタグラフを付ければ、そのまま昔の田舎電車になります。
 詳しくは、「小湊鐵道の保存車輌」ページをご覧ください。

(無番TMC-200+キハ209 五井 2012.6.23)


 五井機関区には、黄色いモーターカーが2輌常駐しています。
 これはいすみ鉄道から譲り受けたTMC-200で、上総中野駅3番線外側の側線経由で入線しました。この側線は、いすみ鉄道とつながっているのです。
 保線用ですが入替にも使用できます。
 左写真は最初に入線した無番のモーターカーが、休車中のキハ209を移動させているところです。
 2015年秋に大雨による土砂災害で一部区間が不通になったときは、古典貨車のトム11を従えて出動し、復旧作業に活躍しています。詳しくは「小湊鐵道の土砂災害2015」ページをご覧ください。
 
 

(DB5+キハ200形 五井 2022.1.8)


 その後、無番のTMC-200は動かなくなってしまいました。なんでも、トルコンが故障したとか。

 代わりに購入した2輌目のTMC-200が、DB5と名付けられて入替に使われています。
 DB4の続番ですね。

 でも新たに入線したチキやホキを牽引するには力不足のようで、こちらはDB4の仕事になっています。

(モーターカーとキハ209 五井 2012.6.23)


 キハ209は、210と共に車体更新を受けておらず、クーラーも付いていないため、車輌が余剰となってからは休車となってしまいました。
 休車中のキハ209は、機関と変速機が外され、他車の予備部品となっています。台車も、「一番古い物を履かせている」そうです。
 車体は褪色が著しく、あちこちに錆が浮いています。痛々しい限りです。
 休車といっても復活の可能性は無さそうで、残念です。

 その後2021年、キハ40の登場に伴い、キハ202が休車となりました。

(ワム1形+ワフ1+トム10 五井 2010.11.28)

 小湊鐵道の現況を語る上で、忘れてはならないのが木造貨車群です。
 救援車となっているワフ1、保線用のトム10と11、倉庫となっているワム1〜3の廃車体の計6輌がレールの上に乗っています。黒い木造貨車が、原型のままこんなに線路上にいるのは、日本でここだけです。
 トム10と11は、2006年に土砂崩れで養老渓谷〜上総中野間が2ヶ月間不通になった時、復旧作業に活躍しています。その時は小型のユンボを載せ、キハ200の2連に押されて現場へ行き、土砂を積んで捨てに行く作業を繰り返したそうです。
 なおこの2輌、実物誌ではしばしば「トム11と12」と書かれていますが、これは誤りです。たぶん、最初にどなたかが誤記なさったのが、検証されずに引き写されていったのでしょう。
 これらのうち、ワフ1、トム10と11は、2020年に里見駅貨物側線へ移動しました。ワム1〜3は五井機関区に健在です。

 その他、機関庫裏には、国鉄ワム3500形の廃車体もあります。

 2021年には保線用に、JR東日本からチ1111、チキ5252、チキ5254の3輌、関東鉄道からホキ800形2輌を購入しました。ホキ800形の関東鉄道時代の車番は801と802だったようですが、現車は塗装の退色と錆が著しく、どちらがどちらなのかはわかりません。
 ともあれ、国鉄形保線車輌のそろい踏みとなりました。

(ワム1形2輌 五井 2010.11.28)

(トム11 五井 2011.7.22)

 

(チ1111+チキ5252+チキ5254 上総牛久 2022.1.8)

 

(ホキ800形 馬立〜上総牛久 2021.10.9)

小湊鐵道の昔の様子は、次ページをご覧ください。1976年に撮影した写真です。
上へ 次へ
inserted by FC2 system