小湊鐵道の保存車輌 前ページへ 実物鉄道へ 表紙へ

(キハ5800 2010.10.28)


 五井機関区の名物となっているのが、キハ5800の廃車体。現存する日本で唯一の電車改造気動車として、貴重な車輌です。保存というより、倉庫ですけど。
 1960年に、買収国電のクハ5800形を改造して登場した気動車で、元をたどれば1914年製の木造院電デハニ6465という大変な車輌。鉄道省ではなく、それ以前の鉄道院の時代。小湊鐵道のサイトでは1928年製となっていますがこれは誤りです。
 現在の車体は、三信鉄道のデ301だった時代に半鋼製化されたときのもの。同型車がかつて、大井川鉄道などで電車として走っていたので見覚えのある方もいらっしゃることでしょう。
 気動車改造の電車はあまたあれど、その逆は本形式と、4年前に登場したキハ6100形、あとは現関東鉄道の常総筑波鉄道のみ。電車は車体が重いので、非力なエンジンの気動車には向いていないのですね。
 ただ、キハ6100形や本形式が登場した頃は、国鉄から払い下げの気動車が無く、地方私鉄の廃線も少なくて中古気動車が手に入らず、やむを得ない選択だったのでしょう。とはいえ、車齢46年の中古車をよくぞ改造したものです。さすがに翌年からは、キハ200の新製が始まっています。
 先に登場したキハ6100形の座席が緑色のビニール張りだったのに対し、本形式はキハ200形と同じ青いモケット張りで、窓も大きく接客設備に優れていました。そのため、キハ200形の数がそろうまでは、主力車として活躍しています。
 登場時はスカーレットの単色塗装でしたが、その後はキハ200と同じ塗り分けとなり、おでこに1灯だった前照灯もキハ200と同じ2灯となりました。
 当時は半自動ドアーだったキハ200形に対し、自動ドアーだったのも特徴でした。

(キハ5800 2012.6.23)

(キハ5800 2012.6.23)

(キハ5800 2012.6.23)

 キハ5800形は、5800と5801の2輌がありました。
 2輌のキハ5800形のうち、稼働していたのは常にキハ5801の方で、1977年にキハ213と214が登場するまでは、しばしばキハ200と2連で五井〜上総牛久間の区間運転に使われていました。私も何度か乗車しましたが、直線区間では結構スピードが出たことと、揺れが激しかったことを覚えています。
 『鉄道ピクトリアル』誌620号によると、当形式は液圧式単車制御で総括制御はできないとのことです。確かに、鉄道部で聞いた話では「ブレーキは貫通するが、総括制御はできない。連結するときは運転士が2人乗る」そうです。だから、私が乗車した時も、協調運転だったのでしょう。
 一方、5800の方は、五井機関区の定位置でいつも昼寝中。塗装も退色が進み、一方の妻面のみ塗り直されて色合いが違っていました。動いているのを見たことがなく、「次に廃車になるのは5800だなぁ」と思っていたので、5801の方が廃車になったのは意外でした。酷使しすぎたのでしょうか。
 5801と同時に、機関車代用だったキハ6101も廃車解体されたので、工事用貨車の牽引は5800の仕事となりました。でも友人が馬立駅で目撃したところでは、連結器が不調でなかなか貨車と連結できず、乗務員の方が困っていたとか。ずっと動いていなかったので仕方なかったのでしょうが、鉄道模型のような話ですね。
 台車は院電の標準型、TR10。というより、「明治45年電車用標準型」というべきでしょうか。車輪もスポークです。骨董品ですね。
 下回りを見ると、機関と変速機は外されています。機関はDMH17Cで変速機がTC2ですから、キハ200の交換部品として使用されているのでしょう。つまり、機関と変速機は、今なお現役なわけです。

(キハ5800 2012.6.23)

(キハ5800 2012.6.23)

(キハ5800 2013.2.2)


 1986年に実施された、ファンによるイベント列車で使用されたサボを付けた姿です。
 小湊鐵道のサイトでは、このイベントがキハ5800の最終運行だったと記されていますが、実はその後も稼働していました。
 1980年代後半は、平日朝の運用に13輌が必要でした。でも、キハ200は14輌です。つまり、キハ200の予備車が1輌しかなかったのです。キハ5800を廃車にしなかったのは、そのためでした。
 そしてその頃から、キハ200を1輌ずつ新潟鉄工へ回送して、車体更新と冷房化をするようになりました。そうなると、キハ200が検査に入れば本車の出番になります。
 その場合の運用は決まっていて、朝の1往復のみでした。
 当時は上総牛久周辺に県立高校が3校あり、通学する高校生のために平日朝の下り上総牛久行きが4連だったのです。その最後尾に、キハ5800が連結されたのでした。
 その列車に残念ながら私は乗車する機会が無かったのですが、五井駅の3番線に停車中のキハ200の3連に、機関区から自走してきた5800が増結されるところは何度か見ています。
 上総牛久までは平坦ですし、前にキハ200が3輌もいるのですから、おそらく本車はトレーラーとして牽引されたのでしょう。
 1990年、検査切れにより休車となりました。乗客の減少により、キハ200のみで余裕を持って運用できるようになったのでした。
 廃車となったのは1997年です。以後は倉庫として余生を送っています。
 
 車内の様子は、次ページをご覧ください。

(キハ5800 2013.2.2)

(キハ5800 2013.2.2)

(キハ209 2013.2.2)


 乗客の減少、特に通学する高校生の減少は深刻で、キハ200にも余剰車が出てしまいました。
 休車となったのは、キハ209。1970年製ですから本形式としては特に古いわけではないのですが、本車と210のみは上記の更新工事を受けておらず、冷房も未搭載なのが理由でしょう。
 塗装は退色が進み、錆も浮いて痛々しい姿です。車内は倉庫として使われています。
 機関と変速機が外されているのはキハ5800と同様。年代物で予備部品の確保に苦労しているそうですので、交換用に使っているのでしょう。鉄道部で聞いた話では、「台車は一番古いものを履かせている」とのことでした。
 隣のいすみ鉄道では車輌不足に悩んでいるそうですので、本車を譲渡したらどうでしょう。キハ28や52と総括制御できますから、連結して3連で運転すればファンが押し寄せるのでは。
 もともと、キハ200形は千葉駅乗れ入れ用に製造され、実際にそうした運用もされているので、国鉄型との混結は不自然ではないはずです。

 

(1号 2号 B104 2010.2.13)


 五井機関区裏には、蒸気機関車も3輌保存されています。
 1号と2号は、開業時にボールドウィンで新製されたもの。B104は鉄道省のテンダー機5500形をタンク機に改造した国鉄B10で、陸軍経由で入線しています。
 この3輌、私が初めて見た1974年頃は赤錆にまみれ、保存というより放置という感じでした。ボロボロで蹴飛ばせば崩れそうな木造車の廃車体2輌と、連結されていたのも覚えています。
 その後、小湊鐵道が初めて発売した記念切符が増刷するほど好評で、その売り上げ等で整備され、屋根も付いて現在に至ります。

 なお、五井機関区には貴重な木造貨車、ワム1〜3とワフ1、トム10と11がいます。いずれも開業時に新製された車輌です。ワフ1が救援車、他のワフは倉庫となっています。トムは工事用車輌として現役です。
 また、機関区裏には、国鉄ワム3500形の車体が置かれ、こちらも倉庫となっています。
 さらに機関区内には、何と旧日本陸軍鉄道連隊の97式軽貨車もいます。こちらは保存車ではなく、物品運搬用の台車として現役です。

(ワム1〜3・ワフ1・トム10 2015.5.4)

(ワム3500形7296 2010.11.28)

(キハ209・キハ5800・キハ200形 2012.6.23)


 車齢が100年前後の蒸気機関車3輌と木造貨車6輌、電車改造気動車、その他にも鉄道連隊の貨車等、いずれも貴重な車輌ばかりです。
 これなら、「小湊鐵道博物館」もつくれそうですね。
 でも実際には、蒸機以外は倉庫等になっていて、厳密には保存車とは言えない状態です。
 市原市あたりが資金を出し、地域に貢献した産業遺産を公的に保存するべきだと思うのですが、いかがでしょうか。
次ページは「キハ5800一般公開」です。
上へ 次へ
inserted by FC2 system