総武流山電鉄1976 実物鉄道へ

(クハ53+モハ1101 馬橋 1976)


 かつて流鉄は、「総武流山電鉄」という社名でした。初めて訪問したのは、小学校5年生の時です。
 馬橋駅で電車を降りて跨線橋を渡ると、常磐線の長いホームとは対照的な短いホームがあり、2輌編成の電車がちょこんと止まっていました。
 電車は中型の半鋼製車で、オレンジ色に白線を巻いていました。
 左写真のクハ53は元青梅鉄道のモハ100形で、国鉄を経由して入線しました。いわゆる買収国電です。日頃見慣れていた小湊鐵道のキハ6100形の同型車なのですが、乗車当時は全く気付きませんでした。

(DB1 馬橋 1976)


 中古車ばかりの中で、唯一の新製車がこのDB1です。森製作所製の10t機で、各地の地方小私鉄に準同型機がいました。俗に「森ブタ」とも呼ばれていたDLです。
 森製作所製の10t機というと蒸機改造のDLが有名ですが、このDB1は加悦鉄道DB201と同様の新製車でした。
 小型なので馬橋駅の入替専業で、本線上では電車が貨車を牽いていました。
 撮影時点ではまだ車籍があり、『鉄道模型趣味』誌2011年3月号では「現役」だと書きましたが、実際は休車状態だったようで、錆が浮いて塗装の退色も進んでしました。
 一見、当時大きな駅にはどこにでもいた貨車移動機に見えますが、極限まで装飾を廃したその姿には機能美が感じられ、子ども心にも大いに魅力的でした。

 このDLを後に模型化したのが、私の「上総鉄道」DB2です。

(モハ1002他 流山 1976)


 電車はのどかな田園地帯を走ります。
 途中の小金城趾で上下列車が交換し、20分弱で終点の流山に到着しました。
 流山はホーム一面の小さな駅でしたが、電車区と貨物ホームがありました。貨物側線からは馬橋方向へ専用線が伸び、大きくカーブして流山街道を渡り、醤油工場へ入っていっていました。
 当時はまだ貨物営業をしており、さほど広くはない駅構内に、数輌の貨車が留置されていました。
 また、一つ手前の平和台からは旧陸軍糧秣廠跡へも専用線が伸びていましたが、こちらは雑草が生い茂り、使われていないようでした。

 雑多な形態の半鋼製車と、木造貨車が並ぶ駅構内。蒸機時代の古びた給水塔。錘付き転轍機。木造の電車庫と詰所。細いレールと木製枕木。
 この当時、地方小私鉄ならどこでも見られた、実に平凡な光景でした。

 
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