いすみ鉄道 実物鉄道へ 表紙へ

(キハ28-2346+キハ52-125 上総東〜西大原 2018.7.16)


 いすみ鉄道は、国鉄木原線が1987年の国鉄分割民営化の際、第三セクター化された路線です。
 もともとは木更津と大原を結ぶ房総横断鉄道として計画されたものの、上総中野でストップ。上総亀山まで伸びた西側は久留里線となりました。もっとも、上総中野と上総亀山の間に人的交流は無く、全通していたとしたら大赤字になっていたことでしょう。この区間は、現在バス路線すらありません。
 木原線時代も乗客が少なく、全国に先駆けてレールバスが導入されたほどでした。首都圏の赤字路線としても著名で、沿線では古くから、「乗って残そう」と組織的な廃止反対運動が行われていました。
 私が初めて乗った時は、キハ30の2連がノロノロと走る、平凡なローカル線でした。
 第三セクター後も話題性に乏しく、沿線に観光資源があまりないこともあり、通学客輸送が中心でした。
 ところが2011年春、JR西日本から譲り受けたキハ52が登場し、休日運転の急行として走り始めたのです。大糸線でおなじみだったキハ52に、まさか千葉県で乗れるとは。
 続いてキハ28も登場し、急行らしい編成になりました。
 静態保存ではなく現役ですので、嬉しい限りです。

(キハ28-2346+キハ52-125 総元〜西畑 2018.10.8)

(キハ28-2346+キハ52-125 上総東〜西大原 2018.11.25)

(キハ28-2346+キハ52-125 久我原 2016.3.21)

(キハ28-2346+キハ52-125 上総中野〜西畑 2016.4.30)

(キハ52-125 大多喜 2011.7.17)


 キハ52は勾配区間用ですから、木原線時代は走ったことがありません。
 急行型気動車ではなく、塗装も一般色です。
 それがヘッドマークを付け、急行として走っていたのは、考えてみれば妙なもの。
 でも、走っているキハ52に乗車できるのは、全国でここだけです。そもそも大糸線から引退した時、「ああ、もうこれで乗れないのだな…」と覚悟しましたので、復活したのはありがたいことです。
 豪雪地帯で酷使された車齢40数年の老朽車ですから、各部の痛みが相当あったことでしょう。2エンジン付きで重いので、保線への悪影響も考えられます。それらを覚悟して導入した社長さんの決断には、頭が下がります。
 ヘッドマークも各種用意されています。次ページをご覧ください。
 
 なお、キハ52は塗装が痛んだため2014年2月に再塗装されましたが、その際にタラコ色となりました。
       
 キハ52の車体側面には、左写真の通り「千カウ」の表記があります。
 これは国鉄時代の勝浦支区のこと。当時、木原線の気動車は線内に車庫が無く、勝浦支区に所属していたのです。
 こんなところが凝っているのは、やはり社長さんがマニアだからでしょう。

 
 
 右写真は国鉄時代の、勝浦支区の様子です。
 現在はただの電留線となっていますが、この当時は佐倉機関区の支区として活気があり、木原線用の気動車がズラリと並んでいました。
 所属している気動車は、ご覧の通り通勤形の30系が主力です。

 右端に先頭部が写っている湘南色のクハ111は、東海道線からの転入車です。

(キハ30・キハ17・113系 勝浦 1976)

(いすみ301 上総東 2012.3.30)


 第3セクターとして開業以来走っていたレールバス、いすみ200形に代わるべく、2012年春に登場したのがいすみ300形です。
 新潟トランシス製のNDCで、レールバスに比べて車体が大型化し、セミクロスとなりました。窓が開閉可能なのが特徴で、トイレも付いています。方向幕はLEDではなく、昔ながらの「幕」であるのも嬉しいところ。加速が良く、乗り心地も上々です。
 左写真は試運転中の光景です。
 下の2枚は、営業運転開始後のいすみ300形。
 窓の無いトイレ部分の側面をうまく利用し、ムーミンの絵を貼ってあります。

(いすみ301+いすみ351 西大原〜大原 2016.3.21)

 

(いすみ301 大多喜 2013.4.28)

 

(いすみ302 上総東〜西大原 2018.7.16)


 いすみ300形は、3輌が新製されました。
 続いて2013年に、いすみ350形が登場しました。こちらは通学輸送とイベント運転用を兼ねたロングシート車で、キハ20系類似の前面が特徴です。側窓が開閉可能なのも、社長さんのこだわりを感じます。
 気動車一般色に塗ったら似合いそうですね。
  …と書いたらその後、本当にそうなったキハ20が登場しました。

 現在はNDCが5輌、国鉄型キハ2輌で運用しています。
 多客時は車輌が不足気味ですが、これ以上の追加新製は難しいようです。
 ファンとしては、後述するキハ30を復活させてほしいのですが。

(いすみ351 国吉 2014.2.16)

(いすみ352 国吉 2018.7.16)

(いすみ301+302 大多喜 2012.5.4)


 いすみ200形は車体側面にムーミンのイラストを貼り、ヘッドマークを付けて、「ムーミン列車」となりました。それは現在の300形と350形にも受け継がれています。何でも、沿線風景がムーミン谷に似ているのだとか。途中の沼には、ムーミンやスナフキンの人形が飾ってあったりもします。
 ただ、幼い頃に日曜日の夜、「カルピス子ども劇場・ムーミン」を欠かさず見ていた私には、夷隅地方とムーミン谷の共通点があまり感じられません。水田や竹林の広がる光景は、日本の田舎にしか見えないのです。
 いすみ鉄道沿線は、小湊鐵道沿線と並び、東京近郊で手軽に日本の原風景を眺められる場所の一つです。そちらを使って集客したら…と書いたら、その後、実際にそうなりました。

(キハ28-2346+キハ52-125 上総東〜西大原 2018.7.16)


 いすみ鉄道の挑戦は続きます。
 キハ52に続いてJR西日本からキハ28を購入し、そしてJR東日本からは久留里線を走っていたキハ30も購入しました。
 キハ52にキハ28を連結し、急行を2輌編成にしたのです。ヘッドマークが付いたキハ28は、まさしく急行です。
 いずれはキハ30を加えた3輌編成にして、昔の国鉄の凸凹編成を再現したいとか。
 巨額の資金と特殊な設備を必要とする蒸機の復活運転に対し、少額の投資と既存の設備で対応できる国鉄型ディーゼルカーの運転は、実に優れたアイディアだと思います。しかも、他では乗車できない列車ですから、遠くからでも乗りに来る価値があります。
 国鉄型ディーゼルカーの天国となりつつあるいすみ鉄道と、キハ200のみで運転されている小湊鐵道が走る房総半島中央部は、日本中でここにしかない魅力的な地域となりました。
 それにしても、こんな日が本当に来るとは。地元出身の一人として、感慨の深いものがあります。

(キハ30-62 国吉 2013.1.27)

(キハ28-2346 大多喜 2013.4.28)

 
 保線用モーターカーTMC-200。トロッコ2輌と軌道自転車を従えています。
 同型車がもう1輌ありましたが、2011年春に小湊鐵道へ譲渡されました。

 こちらはオマケ。
 大多喜駅前から徒歩5分ほどのこの建物、1階が「房総中央鉄道館」になっています。
 私設の博物館ですが、かなりの広さで、Nゲージレイアウトが10個くらい並んでいます。他にも、写真や方向幕等、房総半島の鉄道と関係する展示物があります。
 維持するのは大変でしょうが、羨ましくも思います。

(キハ28-2346+キハ52-125 上総中川〜国吉 2018.7.16)


 とても現代とは思えない光景。
 キハ28の急行に、再び乗車できるとは。
 しかも特別なイベント運行ではなく、毎週末に必ず走るのです。マニアにとって実にありがたいことです。
 旧型気動車の保守は大変でしょうが、これからも末永く走り続けてほしいものです。
上へ 次へ
inserted by FC2 system