頸城鉄道の保存車輌 実物鉄道へ 表紙へ  2017.10.21更新  

 (2014.10.25)
 


 頸城鉄道を初めて知ったのは、小学生の時に読んだ『鉄道ビクトリアル』誌「私鉄車輌めぐり」の復刻版でした。その時は平凡な地方私鉄という印象しか無かったのですが、程なくして機芸出版社『ナローゲージモデリング』掲載の「頸城鉄道のムード」を読み、独特のムードにすっかり感化されました。魅力的な車輌群と、ストラクチャーの数々。半世紀以上前と、ほとんど変わらない光景。ホジ3や、DLの牽くミキストが、頸城の田園を走るところを見てみたい…。
 でも実物は、すでに廃線となっています。
 車輌も大半は行方不明。唯一、2号蒸機だけが西武山口線で「謙信号」として現役だったのみです。
 その後、ラッセル車のラキ1を成田ゆめ牧場まきば線で見ることができましたが、他の車輌はもうこの世に存在しないものとあきらめていました。
 それが10年程前に神戸の六甲山中から「発掘」されたのですから、あの時は本当に驚愕しました。
 以来、ぜひ訪ねたいと思っていたのですが、諸事情でなかなか訪問できず、2014年秋にやっと行くことができました。奇しくも、開業以来ちょうど100年目の年でした。
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 車庫のあった百間町駅跡は、「くびき野レールパーク」として整備されています。
 年に数回公開され、無料で見学することができます。
 ホジ3やDC92が自走し、何と乗車も可能です。
 左写真中央奥が昔の機関庫で、ここに設置されたホームから乗車します。
 その右隣が昔の本社で、今は資料館となっています。こちらも自由に見学ができます。
 かつての駅本屋とホームは、機関庫裏にありました。

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 頸城鉄道といえば、何といってもホジ3です。開業以来の日車製客車を自社で改造した気動車で、現役時代は積雪のある冬季以外の主力車輌でした。
 現存する私鉄唯一の客車改造気動車で、唯一の木造気動車でもあります。加悦鉄道の保存車キハ08も珍車ですが、ホジ3と比べると足下にも及びませんね。
 種車のホトク1が登場したのが1914年ですから、この時点で実に車齢100年になります。走行可能な最古の気動車でもあるわけです。
 ホジ3について、詳しくは次ページをご覧ください。

 (2017.10.14)

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 (2014.10.25)
 


 DC92が牽くミキスト。
 次位が木造無蓋車ト5で、最後部が木造2軸客車ハ6です。
 まさに、「模型的な編成」と呼べるでしょう。
 当上総鉄道は軽便ではないのですが、似たような編成の列車を走らせているだけに、実物を見ると感激します。

 2017年には2号蒸機を先頭にしたミキストも見ることができました。
 2号蒸機は無火で、DC92に押されて動いていましたが、ボイラー内に発煙装置を仕込み、煙突から煙を出す演出もあり、楽しめました。
 なにせ、本当に蒸気で動いているように見えるのです。

 ふだんは機関庫の奥にいるので、外で2号蒸機を見るのは40年以上前の、西武山口線以来です。
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 ハ6のサイドビユーと車内。
 木造2軸客車としては、理想のスタイルといえるでしょう。
 頸城鉄道に来てからはあまり動くことがなく、晩年は予備車となっていたようですが、よくぞ残っていたものです。
           (2014.10.25)
 

 ホジ3と並ぶ、頸城鉄道の名物車輌がこのニフ1です。
 小型2軸客車を改造した荷物車で、ミキストに組み込んだり、ホジ3が牽いたりして、かなり活躍した車輌だったようです。
 残念ながら保存状態が悪く、頸城へ里帰りした頃は下回りの一部が残っているだけでしたが、今回見事に復元されました。
 車内は右写真のとおりガランとしていて、手ブレーキのハンドルだけがポツンと立っています。
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 機関庫内には貨車もいます。
 鋼製のワ7と、木造のワ14です。
 マルケーの社紋が、いかにも地方私鉄です。
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 機関庫の最奥部には、2号蒸機が保存されています。ドイツのコッペル製で、軽便蒸機の典型といえる、実にまとまったスタイルです。
 私にとっては、西武山口線で現役時代に見て以来、38年ぶりの再会でした。
 こちらもいつの日か、自力で動くところを見てみたいものです。
 2号はよく見ると、ターンテーブルに載っています。これは地中から掘り出した、当時の物ということです。
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 左写真は、旧機関庫を裏から見たところ。公開イベントの受付があり、募金箱が置いてあります。このイベントは、全てボランティアで実施しているとのことで、関係者の皆様の努力には頭が下がります。私も当然、それなりの募金をさせていただきました。
 右写真は資料館となった旧本社です。展示資料は貴重なものばかりで、眺めていると時間を忘れてしまいます。
           (2014.10.25)
 

 旧本社の脇、駅本屋跡には、「頸城鉄道発祥之地 百間町駅跡」と刻まれた石碑が建っています。各地の廃線跡はあまた歩きましたが、このような石碑はめったに見ることがありません。会社側は今でも、かつての鉄道線を誇りに思っているのでしょう。
 駅前は、右写真の通りです。人家はそれなりにあるものの、飲食店や宿泊施設は見あたらず、拠点駅の駅前にしては寂しい感じです。
 そもそも新黒井からここまでは一面の水田で、人家がほとんどありません。よくぞ鉄道経営が成り立っていたものです。
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 機関庫脇の線路を、ミキストが走り去っていきます。
 ここはかつての本線跡で、現役時代をそのまま見ているような気がします。
 子どもの頃から今まで、写真でしか見ることのなかった光景をこの目で見ることができ、感慨の深いものがあります。

 列車の行く手は、ご覧の通り線路が途切れています。道路が横切っていてこれ以上延ばせないそうですが、この先の水田の中を走るところも見てみたいものです。           (2014.10.25)
 

 起点の新黒井駅跡にも行ってみました。
 かつての新黒井駅は、信越本線黒井駅に隣接していました。実物誌各種はもちろん、何人もの方により模型化された有名な駅でした。
 洋風2階建ての駅本屋とのどかな構内は、開業当時から廃線までほとんど変わらず、実に趣のある情景を醸し出していました。
 現状は左写真の通り、広大な空き地となって何もありません。
 唯一、「頸城鉄道 新黒井駅跡」の立派な石碑と、由来を記した石碑が並んで立っているのが救いです。
           (2014.10.25)
 
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