|
|
|
|
|
|
|
大井川鐵道の新金谷駅から大井川の近くまで、構外側線が延びています。
元々は大井川からの砂利を運搬する目的で建設されたそうですが、現在は不要な車輌を留置したり、解体するために使われています。
2019年、8年ぶりにこの怪しい構外側線を訪問してみました。
さあ、今回は何があるでしょうか。
(写真は全て2019.1.3撮影)
|
|
|
|
|
|
|
構外側線は、新金谷駅の金谷方から分岐します。
このあたりは、8年前と変わっていません。
|
|
緩く左へカーブ。
併走する道路との間に、柵も何も無いところがいいですね。
|
|
|
|
|
|
|
前回の訪問時、少し驚いた立派な踏切。
ここを列車が通るところを見てみたい。
|
|
踏切警報機や信号機と、線路や架線柱との新旧の落差が面白い光景です。
線路を歩くわけにはいかないので、並行する道路を歩きます。
|
|
|
|
|
|
|
道路から寄り道して、線路を見てみます。
線路は錆び、枕木は風化して廃線のようですが、これでも現役です。
たまにですが、工事列車や回送列車が通ります。
|
|
振り向いて、先ほどの踏切方向を見ます。
木製の架線柱は、もう滅多にお目にかかれませんね。
|
|
|
|
|
|
|
大きな工場の脇を通り、終点のヤードへ。
前回の訪問時は真夏でしたが、今回は真冬なので、雑草が少なくて線路がよく見えます。
|
|
ヤードの手前は舗装された広場になっていて、新しいレールが積まれています。
線路上に黄色いトロッコが乗っているのでこれに積んで、奥のモーターカーで牽引してレール交換をするのでしょう。
|
|
|
|
|
|
|
車輪やバラスト、その他いろいろなジャンクが置いてあります。
|
|
道路の反対側は未舗装の広場で、ここにもPC枕木や車輪などが大量に置いてあります。
|
|
|
|
|
|
|
あれっ、右の方にある物体は、もしや…。
|
|
うわっ、やはり…。
旧大日本帝国陸軍鉄道聯隊の97式軽貨車です!
|
|
|
|
|
|
|
21世紀の現代でも、小湊鐵道五井機関区はじめ全国で散見される97式軽貨車。
大井川鐵道にもあることはマニアの間で知られていましたが、確か以前は線路の上に乗っていたはず。
今は線路に乗ってはいませんが、原型のまま健在です。
|
|
鉄道聯隊では、2輌1組として、ボギー台車のような運用をしていました。
森林鉄道の運材台車と同様の使い方です。
上から見るとスカスカですが、頑丈に作られていて、許容荷重は8〜9トンだそうです。
さて、終点のヤードに行ってみましょう。
|
|
|
|
|
|
|
前回訪問時は草に埋もれていたホキ800型ホキ986です。
|
|
こちらはホキ989。
2輌とも綺麗なので、保線工事で使っているのでしょう。車籍もあるようです。
|
|
|
|
|
|
|
チキ303。こちらは現役ではなさそうですね。
|
|
JRより購入した14系客車4輌と12系客車5輌です。
スハフの上には、屋根も新設されています。
電源車なので、床下のディーゼルエンジンを保護するためでしょう。
|
|
|
|
|
|
|
12系客車は急行「はまなす」で使用されていた、懐かしい車輌です。
手前側の車輌は雨ざらしで、塗装の痛みが進行しています。
道路との境には真新しい柵が建てられています。
|
|
構外側線の末端部。
前回訪問時も見たC11の廃車体は、少し移動しています。 |
|
|
|
|
|
|
12系客車は、「SLやまぐち」号で使用されていたもの。
こちらはあまり傷んではいませんが、このままでは心配です。
|
|
前回訪問時とは打って変わって、スッキリした末端部。
冬場で雑草が少なかったこともありますが、やはり客車の留置のため整備されているのでしょう。
JRからの9輌の客車はぜひ復活してほしいのですが、一方で旧型客車には今後も活躍してもらいたいので、複雑な心境です。
|
|
|
|
|
終 |