加悦SL広場② 2021.2.27新設 前ページへ 実物鉄道へ 表紙へ

 SL広場というからには、主役は蒸気機関車なのでしょう。駅本屋を模した入り口の建物を抜けると島式ホームがあり、加悦鉄道のかつての主力機2輌が、客車を連結して並んでいました。
 向かって右が2号機、左が1261号機です。どちらも簸上鉄道から譲り受けた小型機で、よくまとまった好ましいスタイルをしています。

 簸上鉄道とは、現在のJR木次線の一部です。
 
 ホームはむろん現役時代のものではなく、SL広場がこの地へ移転した際に造られたものですが、傘付き電灯が下がる木製電柱が良い味を出しています。

 

 まずは有名な2号機。開業時に簸上鉄道2号機を譲り受け、番号はそのままで使っていました。
 1873年イギリスのロバート・スティーブンソン社製という大変な車輌で、阪神間の鉄道開業時に走った機関車です。
 加悦鉄道入線時、既に車齢50年超の老齢機だったのですが、以後30年間も主力機として活躍しました。

 同型機は他に3輌あり、うち1輌は千葉県の南総鉄道に譲り渡され、1号機として廃線まで使われていました。

 2号機は他の保存車輌と同様、長らく雨ざらし状態でした。
 その後、写真の通り屋根が付き、保存状態が改善されました。
 もっとも、写真は撮りにくくなってしまいましたが。

 外観はいかにもイギリス製らしい、端正なスタイルです。ジェントルマンのような上品さ、とも言えます。
 ハ4995を従えた姿は、日本の鉄道における最初期の雰囲気を今に伝えています。
 

 1261号は1943年に簸上鉄道2号機を譲り受けた車輌で、1923年日本車輌製。同型で同じ経歴の1260号も在籍していましたが、戦後まもなく昭和電工富山工場に譲渡しています。
 日車製の好ましいスタイルをしたCタンク機で、同型機や準同型機は各地で見ることができました。
 簸上鉄道時代に空制化され、ボイラー横にコンプレッサーを積み、サドルタンクには配管が這い回っています。
 ハブ3を従えた編成で保存され、地方私鉄の魅力が横溢していました。

 4号機。蒸機時代の加悦鉄道で最も活躍したと思われ、多数の写真が残されています。
 1922年川崎造船所製の、河東鉄道3号機を譲り受けたものです。
 加悦鉄道入線後は重い鉱石列車牽引のため空制化され、大型のエアータンク2個とコンプレッサーを積み、物々しい外観となりました。

 103号は加悦鉄道の蒸機ではなく、長門鉄道101号が東洋レーヨン滋賀工場の入替機を経て、宝塚ファミリーランドで静態保存されていたものです。
 1915年アメリカのポーター社製。大型の木製キャブやリベットの目立つ煙室扉など、無骨なスタイルはいかにもポーターです。カウキャッチャーを付ければ、アメリカの荒野を走っていそうな感じです。

 C57189とC58390は、それぞれ1973年と1975年に、展示用として加悦町が国鉄から譲り受けた車輌。
 入線時は国鉄と接続する丹後山田駅から、DLに牽引されて加悦駅へ到着しています。

 一般の来場者にはSLといえば国鉄型大型機でしょうから、かつては人気のある展示車輌だったのでしょう。
 でも加悦SL広場の末期には、退色や錆により痛々しい姿となっていました。





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