小湊鐵道を建設する鉄道連隊 そのC 2016.11.27新設 前ページへ 実物鉄道へ 表紙へ
 「第二巻」の後半は、左写真の通り「養老川第三橋梁架設作業」です。

 他の橋梁と同じくガーダー橋で、こちらは長いガーダーが2連、半分の長さのもの1連で構成されていることがわかります。

 画面には「演習第二中隊」とあります。今までの作業は「演習第一中隊」でしたから、こちらは担当する部隊が違うわけです。

 映像で見る限り、作業は二個中隊で実施されたと思われます。
 最初のシーンは「足場構築」です。

 養老川第三橋梁は、現在の上総久保と高滝の間、短い久保隧道を抜けてすぐの場所にありました。
 
 左写真に隧道が見えますが、これが久保隧道です。隧道を出てすぐ川、という山の中の鉄道にありがちな情景です。

 ここも橋台や橋脚はすでに真新しいコンクリートで完成しているので、鉄道連隊はガーダーを運んできて、その上に載せる作業を担当したわけです。
 
 足場は、膨大な本数の丸太で組まれています。

 簡易クレーン、あるいはデリックで立てた太い丸太を柱とし、中くらいの太さの丸太を筋交いとして補強し、細い丸太は横木としています。

 その上には枕木を井桁状に組みんでいきます。

 作業はここも、すべて人力です。画像を眺めているだけで気が遠くなるような、手間のかかる仕事ですね。

 さて、井桁状に組んだ枕木の上には、さらに枕木を横向きに並べ、細いレールを敷きます。

 その上を、トロッコに載せたガーダーが動くわけです。

 ガーダーは、やはりロープにより牽引され、ソロリソロリと動いていきます。
 
 牽いているところは写っていませんが、むろん人力でしょう。

 ガーダーの側面には、手書きで「重量一万貫 一万二千円」と標記されています。ということは、重量は1本で38トンくらいでしょうか。

 2本つなげたガーダーの上には、バランスを保つための帆柱状の支柱が立てられ、そこからロープがガーダーの両端へ伸びています。

 この工法は帆柱式架設法と呼ばれるもので、有名なところでは総武本線の神田川橋梁がこの工法で架橋されています。

 左下の写真は2本目のガーダーですが、「重量一万貫 一万二千円」という標記はこちらにもあります。

 はるか後、1980年代末、この場所のすぐ下流に高滝ダムが建設されます。

 ダムにより水面が上昇するため、線路がかさ上げ移設されてコンクリート橋になり、トンネルの横を切り通しで抜けるようになりました。

 旧橋梁は現存しませんが、旧橋の橋台は残っています。

 左下写真の右端が、旧橋の橋台です。建設から90年以上を経て、さすがにかなり傷んでいます。

 旧久保隧道も現存していますが、ここはさらに傷みがひどく、現役時代から巻き立てのコンクリートがボロボロでした。そこで内部に金網を張り、鋼製の支柱を巻いて維持していたのですが、列車が通るときに先頭車両から前を見ていると、支柱があばら骨のように見え、怪獣の口に飛び込むようで不気味でした。
 
 現在、隧道入り口は藪に覆われ、内部は水没していて、さらに奇怪さが増しています。現状は、廃道探索の超有名サイト「山さ行がねが」でヨッキれん氏が報告されています。

 上映された映像は以上ですが、資料的価値の極めて高い、とても貴重なものです。

 この映像によって、今まで漠然としていた小湊鐵道建設時の様子が鮮明になってきました。

 小湊鐵道の建設は鹿島組(現在の鹿島建設)が担当し、鉄道連隊は演習としての参加です。従来これは、「建設費の節約のため」と解釈される場合がありました。

 確かにその面もあったのでしょうが、その効果はさほど大きなものではなかったようです。鹿島建設の記録と今回の映像を併せてみると、築堤や橋台、トンネル等、基本的な土木工事は鹿島組が実施しています。鉄道連隊は映像の通り、鉄橋の桁を載せる作業と、一部区間の枕木やレールの敷設作業が担当でした。

 鉄道連隊側が、山間部の鉄道建設という、実戦的な演習を望んだ面が大きかったのではないでしょうか。鉄道連隊の演習線は、津田沼や千葉など平地にしか無かったのですから。

 なお小湊鐵道の黒川鉄道部長によれば、この映像は以前、テレビ局スタッフがビデオテープにダビングしたものを、今回DVD化したものだそうです。

 黒川鉄道部長には会場で「有料で頒布していただけませんか」とお願いしましたが、この映像が一般に入手できるようになり、より詳細に研究されることを期待したいと思います。

 最後になりましたが、貴重な映像を公開し写真撮影も許可してくださった小湊鐵道の石川晋平社長と、解説をしてくださった黒川勇次鉄道部長に、篤くお礼申し上げます。
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