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(JR飯田線・飯田 2010.8.17)


 駅の大半は中間駅ですが、このページで取り上げるのは、複数のポイントとホームのある駅です。
 私のレイアウトのように高度経済成長期までは、この規模の駅は当然有人駅でした。単線でも列車交換があり、乗客も多く、駅前にはバスやタクシーがいて、活気がありました。清掃も行き届いていて花壇などもあり、駅員さんの生活感も感じられました。
 現在は、この規模でも無人駅になってしまった例が多いのですが、レイアウトではやはり、有人駅としたいところです。
 左写真の飯田駅は、若干の修正をして模型化すると、中規模のレイアウトに好適な駅です。2面3線で側線もある線路配置。古びた跨線橋。短いホームとその上の木製ベンチ。駅前には土産物屋や大衆酒場が並びます。
小湊鐵道・上総牛久

(2010.5.3)


 跨線橋こそないものの、やはり2面3線の中間駅。折り返し列車があるので、3番線も現役です。左写真の左側は貨物側線ですが、何とこちらも現役。希にですが、保線用のトム10と11が留置されていることがあるのです。
 貨物側線の向こう側は、これも現役の保線係詰所です。
 さて、左下の写真の左端をよくご覧ください。この駅の最大の特徴は、すぐ裏が墓地であること。土地の古老によれば、駅の敷地も本来は墓地で、鉄道建設の際に移転したとのこと。この点はレイアウトには取り入れられませんね。
 下写真の左側は駐車場ですが、ここにはかつて、乗務員の詰所や風呂場などが並んでいました。風呂場は忠実に模型化し、私のレイアウトの機関区に建っています。

(2010.5.3)

(2008.9.23)

小湊鐵道・月崎

(2010.5.9)


 こちらは無人化され、寂れてしまった中間駅。
 もともとは2面3線で、貨物側線も2線ありました。現在も五井寄りのポイントが外されている他は、レールが残っています。でも使用しているのは手前のホームのみで、実質的には棒線化されたのに近い状態です。いつからこうなったのかは定かではありませんが、30数年前、私が小学生の時には既にこの通りでした。ただし、その頃はまだ有人駅でしたが。
 その昔、一時的に終着駅だったこともあり、構内の上総中野寄りには給水塔の土台も残っています。
 駅本屋は開業以来のものですが、無人化されるとやはり荒れた感じがします。

(2010.5.9)

(2010.5.9)

北陸鉄道・新西金沢

(2009.8.10)


 緩やかなカーブを描く線路に、短くて細いホーム。小レイアウトに好適な、列車交換のできる中間駅です。
 もっとも、かつては写真の左側に多くの側線があって国鉄線ともレールが繋がり、貨車が並んでいました。さらにその昔は、車庫があったのだそうです。
 ところで、レイアウトではしばしば、まっすぐな線路に長方形のホームを組み合わせがちです。でも、このように曲線を取り入れると、実感的で温もりを感じさせる情景となります。駅のように目立つ部分は、既製品に頼らず、自作することが重要だと言えるでしょう。
万葉線・六渡寺

(2009.8.11)


 六渡寺と書いて、「ろくどうじ」と読みます。難読駅の一つです。
 相対式ホームの平凡な中間駅ですが、この駅の特徴は、周辺の建物群にあります。
 左下の写真が遠景ですが、周囲は巨大な倉庫や工場、資材置き場に囲まれて、およそ駅という雰囲気ではありません。
 近くの道路から、駅に入る所が下の写真。駅名を書いた看板が無ければ、誰も駅があることに気づかないことでしょう。
 旅情はまるでありませんが、工場地帯をテーマにしたレイアウトなら、再現してみても面白いかもしれません。


(2009.8.11)


(2009.8.11)

長野電鉄・松代

(2011.11.26)


 2面3線の中間駅ですが、左端の3番線は行き止まりとなっています。
 その更に左は、松代城趾です。川中島の合戦で有名な海津城が改名したもので、江戸時代は真田家の城でした。現在も石垣や水堀が残り、復元された城門や城壁も建っています。
 レイアウトでも、駅のすぐ裏に城跡を配置すると趣がありそうですが、よほど上手に作らないと玩具的になってしまうでしょう。念入りな計画が必要ですね。
 駅本屋は歴史ある町にふさわしい、風格のある造りです。ホーム上には、昔懐かしい転轍テコ小屋が建っています。ポイントの転轍テコがズラリと並んだ光景は、現代ではなかなかお目にかかれないものです。

(2011.11.26)

(2011.11.26)

(松代城本丸 2011.11.26)

(2011.11.26)

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