紀州鉄道 実物鉄道へ

(キハ603 御坊〜学門 2009.9.6)


 芝山鉄道に次いで、日本で2番目に短い地方私鉄です。
 かつて廃業寸前だった御坊臨港鉄道を、鉄道会社のネームバリューを欲した不動産業者が買い取ったのは有名な話です。
 それはかつて日本硫黄沼尻鉄道を乗っ取り、倒産させた人たちと関係のある業者だったそうですが、紀州鉄道はその後、他の不動産グループの手に渡り、無事に現存しているのはめでたい限りです。
 
 

 「一度でいいから乗ってみたい」 そう思いながら、思いを果たせぬうちに消えていった地方私鉄はあまたあります。大分交通耶馬溪線は、そうした路線の一つです。

 廃止が迫っていた頃、鉄道ビクトリアル誌に雄大なカーブ鉄橋を渡るディーゼルカーのカラー写真が掲載されており、子ども心に強く印象に残りました。
 その大分交通で活躍していた4輌のキハ600形のうち、603と604が譲渡されたのが紀州鉄道でした。あとの2輌は、地元のドライブインで保存されたそうです。
 譲渡後、30年以上もこの地で走り続けていました。
(キハ603 御坊 2009.9.6)




 キハ600形は、オリジナルの姿に比べ、前面窓がHゴムから金属押さえになり、前照灯が腰部に2灯増設された以外、ほとんど変わっていません。あとはドアーが自動化され、ワンマン化もされてはいますが、外観はそのままでした。
 
(キハ603 紀伊御坊 2009.9.6)



 
  キハ603は1960年製で、鹿島鉄道廃止後は現役のディーゼルカーとして最古参でした。そのため、各部にその時代特有の特徴的な構造が見られました。
 外観で目を引くのは、何といっても湘南型2枚窓の前面。この顔は、いかにも地方私鉄です。その上に、通風用のガラリが付いているのも古典的。戦前の電車やディーゼルカーに、よく見られたものです。側面は、バス窓とプレスドアーで、国鉄の10系気動車を短くした感じです。
 クリームとグリーンの塗装がまた良く似合っており、前面はそれが「金太郎塗り」になっています。
(キハ603 御坊 2009.9.6)




 もう一つ、特徴的なのは機関の排気方法。何と床下排気なのです。
 現代のディーゼルカーはもちろん、国鉄型のディーゼルカーまで、排気管を客室内のダクトを通して屋根上に排気する構造です。
 ホームや線路周辺の雑草へ、盛大に排気を吹きかけながら走る姿は、なんとものどかでした。
(キハ603 西御坊 2009.9.6)



 古典的なのは、室内も同様です。
 木製の床にアミ目板の点検蓋、座面が低くシートピッチの狭いクロスシート、その上には帽子掛け、天井には白熱灯が並んでいます。窓下の部分や座席の手すりは木製です。網棚は、ちゃんと紐で編んだ網がかかっています。
(キハ603 御坊 2009.9.6)




 室内に残る、「新潟鐵工 昭和35年」の銘板。
 新潟鐵工は、現在の新潟トランシスです。
 同社は、地方私鉄に数多くのディーゼルカーを送り出していますが、特に1950〜60年代は、かなり個性的な車輌を生み出しています。
 経営の苦しい小私鉄からも積極的に受注しており、中には山鹿温泉鉄道キハ3と4のように、注文流れになってしまった車輌もありました。
(キハ603 西御坊 2009.9.6)




 ナンバーは新製時からと思われる切り抜き文字ですが、その上には手書きの社紋が付くのが小私鉄らしいところ。
 私のレイアウト「上総鉄道」は1960年代末の時代設定ですが、その頃ですら、車体側面に社紋を書き入れた車輌はあまり見かけなくなっていました。だから私のレイアウトでは、廃車体にのみ社紋を入れているのですが、紀州鉄道は時代を超越している感じです。
 社紋の上には、これまた手書きのサボが入っています。これは小湊鐵道でもまだ使っていますが、現代ではやはり貴重な物です。
(キハ603 西御坊 2009.9.6)



 2輌のキハ600形が並んだところ。
 右のキハ604は、北条鉄道からのレールバスが入線して以降、動くことはなく、部品取り用でした。外観はもちろん、室内もかなり荒れていたのは残念です。
 キハ604の現役時代の姿は、次ページをご覧ください。
 
 左側の車庫内には、この時点ですでに北条鉄道からの2輌目のレールバスが収まっています。
 キハ603はこのレールバスと交代し、この2ヶ月後に引退しました。

(キハ603とキハ604 紀伊御坊 2009.9.6)



  当鉄道の建設は、もともとは紀勢本線建設の際、駅の位置をめぐって壮絶な争いが起きたのが発端でした。その結果、何もない町外れに御坊駅ができてしまい、市街地との連絡線が必要になったのです。
 現在でも、御坊を発車するとしばらくは、田園地帯を走ります。
(キハ603 御坊〜学門 2009.9.6)
 最初の駅、学門からは市街地の中を走ります。
 「幹線から離れた町を結ぶ鉄道」は、かつては全国にあまたあり、私のレイアウト「上総鉄道」も同様の設定です。
 でも、こうした鉄道はその性格上、短距離のものが多く、乗客一人あたりの運賃単価が非常に安くなります。よほど多数の乗客が乗らない限り赤字になるのは自明です。
 ところが現代では、乗り換えの必要な鉄道は使わず、マイカーやバスで移動する人が大半となりました。数少ないお得意様が通学客ですが、これも雨天時以外は自転車を使います。
 そんなわけで、この種の小私鉄は、もう他には数えるほどしか現存していません。
 紀州鉄道も、休日の日中などは、乗客のほとんどが鉄道マニアです。
(キハ603 市役所前〜西御坊 2009.9.6)




 御坊から、わずか2.7kmで終点の西御坊です。
 かつてはこの0.7km先の日高川まで路線がありました。
 西御坊は、市街地のゴチャゴチャした中に、埋もれるように存在しています。
 駅本屋はサビサビでボロボロ、駅名表記すらありません。
(キハ603 西御坊 2009.9.6)




 西御坊の日高川寄りは、車止めと柵で遮られていますが、廃線跡はこの先も日高川駅跡まで続いています。

(キハ603 西御坊 2009.9.6)

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