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かつて数多くの魅力的な路線のあった北陸鉄道も、現存するのは石川線と浅野川線のみとなりました。しかも両線とも部分廃止で、路線を短縮しています。
でも、浅野川線沿線は宅地化が進み、通勤路線へ変貌を遂げました。
車輌も施設も近代的になり、地方私鉄らしさは薄れてしまいましたが、乗客増で元気なのは幸いです。
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(2009.8.10)
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浅野川線は、金沢駅前の北鉄金沢から、左写真の内灘まで僅か6.8kmの路線です。
起点の北鉄金沢はかなり手狭な駅でしたが、現在は地下化されています。
終点の内灘は、ご覧の通り片面ホームに車庫が併設されています。朝ラッシュ時は、相当な数の乗客が乗り込みます。
ところで、写真左奥の留置線は、かつて粟ヶ崎海岸まで延びていました。夏季のみの営業で、海水浴客を運んでいたそうです。
途中は砂丘だったそうですが、現在は住宅密集地。現存していれば、通勤通学客で大いに賑わったことでしょう。早まった廃線が、残念に思われます。
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(内灘 2009.8.10)
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野町から加賀一の宮まで15.9kmを結んでいたのが、石川線です。かつては加賀一の宮から白山下まで金名線が延び、途中の鶴来からは能美線が分かれていました。3路線を合わせて、石川総線と称していたそうです。
現在は石川線のみで、しかも起点の白菊町から左写真の野町まで約1.0kmと、鶴来から加賀一の宮までの2.1kmは、既に廃線となっています。現存するのは野町から鶴来までの13.8kmです。
かつて野町で接続していた金沢市内線も、今はありません。一応駅本屋はバスターミナルを兼ねているものの、わざわざここでバスに乗り換えるよりは、初めから市内中心部へ向かうバスに乗車した方が便利です。
沿線の住宅は決して少なくなく、大学もあるのですが、乗客はバスに流れるようです。
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(野町 2009.8.10)
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野町駅は現在、相対式ホームの2面2線ですが、写真右の2番線は、現在使われていません。
かつては1番線の向こう側に旧1番線があり、市内線への連絡線が延びて、駅前を横切っていました。
また、2番線のホーム反対側にも、もう1線ありました。以前はかなり大きな駅だったわけですが、現在は閑散としています。
石川線は浅野川線に比べ、起点の位置の悪さが目立ちます。
2駅先の新西金沢は北陸本線の西金沢に接していますが、市内へ行くのに乗り換えが必要な点は同様です。ちなみに、同じ状況だった新潟交通は、既にありません。石川線も先行きが心配です。
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(野町 2009.8.10)
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石川線の中枢、鶴来駅を南側から俯瞰したシーン。
右奥の車庫は、新西金沢から移転してきたので、新しい建物です。
手前の留置線には、怪しい車輌が並んでいます。
手前から2輌目のモハ3752は、唯一残る旧型ツリカケ車。でもパンタを外され、かなり荒れており、再起の可能性は無さそうです。『鉄道ピクトリアル』誌701号によれば、1951年広瀬車輌製とのことです。
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(モハ3752とホム1 鶴来 2009.8.10)
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左手前のホム1はバラスト散布用ですが、単なるホッパ車ではなく、元は相当に古い2軸石炭車です。
右奥は、除雪用モーターカーです。
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(モハ3752とホム1 鶴来 2009.8.10)
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雑多で奇怪な電気機関車群を保有していた北陸鉄道も、現存する電機は2輌のみ。貨物のない現在は、いずれも大きなスノーブロウを付けて除雪用となっています。
左写真のED301は、前掲書によれば1954年東洋工機製の箱形機。でも、かつて各地で活躍した準同型機よりは随分旧式なスタイルです。
下回りは改造され、近代的な台車を履き、電機には珍しいカルダン駆動になっています。
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(ED301 鶴来 2009.8.10)
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こちらは1938年製のED201。
何度も改装されて、原型とはかなり姿が変わっています。
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(ED201 鶴来 2009.8.10)
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ED201のサイドビュー。
均整のとれた凸形車体と、前後のスノーブロウ、古典的な台車。落ち着いた塗装も好感が持てます。
スノープロウの黄色が派手ですが、業務用車なので仕方ないのでしよう。
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(鶴来 2009.8.10)
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石川線の終点だった、加賀一の宮。
左側の2番線は既になく、棒線化されています。
鶴来からここまでは2.1kmで、途中に中鶴来がありました。 この区間は、残念ながら2009年10月31日に廃止されてしまいました。
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(加賀一の宮 2009.8.10)
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