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(2009.8.10 氷見)
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終着駅は、レイアウトの題材として実に魅力的です。
列車到着後、乗客は全て下車して帰路につきます。人影の消えたホームには、折り返し時間まで静かな時が流れます。
機関車牽引の列車なら、のんびりと機回しをすることでしょう。
そして乗務員は、駅本屋や詰所で一休み。
線路の終端、いかにも「線路はここまで」といった感じの車止めは、終着駅の象徴でもあります。
時には線路が草むらの中へ消えて行き、車止めが見えないこともあります。
そんな終着駅を、私の主観で順番を決めて掲載しました。
既に廃止され、現存しない駅もありますが、現況紹介ではなくレイアウト製作の参考資料のつもりなので、気にせず載せています。
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宗谷本線・稚内 |
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(2020.8.23)
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まさに、さいはての終着駅。
長い長い宗谷本線でひたすら北上し、鉄路が尽きるのがここです。
駅周辺に広がる空き地は、かつての広大な構内を偲ばせます。
1面2線の島式ホームの他、多数の側線や構外側線、専用線を持っていた稚内駅も、現在は棒線化され、すっかり寂しくなりました。
線路の末端部は駅本屋を突き抜け、駅前広場の真ん中で終わっています。
立派な車止めの脇には、「日本最北端の線路」の碑が建っています。
駅本屋は大きく、立派な建物ですが、ここから発車する列車は特急が1日に3本、単行の普通が4本しかありません。バスを待つ乗客の方が多い感じです。
2021年度以降、列車本数がさらに減るようで、今後が心配です。
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(2020.8.23)
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(2020.8.23)
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根室本線・根室 |
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(2020.8.21)
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特急が走っていないこともあり、稚内駅以上にさいはて感のある終着駅が、根室駅です。
これも長大な根室本線で、ひたすら東に向かった鉄路の果て。駅周辺に広大な空き地が広がっている点も稚内駅と同じです。
根室駅は機回し線が健在なのが、趣味的に嬉しいところ。
昔ながらの駅本屋はかなり大きく、駅そば屋も健在です。
でも列車は単行の普通列車のみで、1日6往復。広い待合室は閑散としています。
構内を鹿が歩いていたりするのは、いかにも北海道です。
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(2020.8.21)
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(2020.8.21)
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留萌本線・増毛 |
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(2015.7.25)
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「終着駅」といわれて、真っ先に思い浮かぶのがこの駅。
線路の末端は頑丈な車止めで終わり、その先は港町です。
さらに先は海。いかにもさいはての終着駅です。
かつて多数の線路があった構内は、広大な空き地になっています。雑草の生い茂る線路跡に、寂寥感がつのります。
ポイントや側線は全て撤去されて棒線化され、無人駅になりました。
でも駅本屋は健在で、中では売店が営業中でした。トタン屋根のものものしい雪止めが、いかにも北海道のストラクチャーです。
終着駅ですからホームは片面1面で、これは開業当初から変わっていないようです。
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(2015.7.25)
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(2015.7.25)
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(2015.12.30)
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留萌本線の留萌〜増毛間は、残念ながら2016年12月に廃止されてしまいました。
増毛駅も廃駅となっていますが、趣のある駅本屋は残っているそうです。
最後に訪問したのは廃止の1年前ですが、真冬にもかかわらず鉄道ファンや観光客が多数訪れ、賑わっていました。
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銚子電気鉄道・外川 |
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(2009.6.16)
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小学校5年生の夏、初めて外川を訪れた時、短い片面のホームに機回し線のみという簡素な駅であることに驚いた記憶があります。
そして今、駅本屋も含め、それが当時と何も変わっていないのは、まさに驚異です。
機回し線は近年まで現役でしたが、ユ101が休車になってからは、単なる留置線となっています。
なお、かつては左写真の本線右側に貨物側線があり、採石場からダンプカーで運んだ石を無蓋車に積んでいたそうです。
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(2008.7.19)
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右写真の車止めから先は緩やかな下り坂となり、漁師町を通って漁港へ至ります。
この情景も、なかなかのものです。
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(2008.7.19)
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JR城端線・城端 |
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(2009.8.10)
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荒崎義徳氏製作の傑作レイアウト「雲竜寺鉄道祖山線」で、祖山駅のモデルとなった駅です。当時の様子は、機芸出版社刊『レイアウトテクニック』(絶版)で紹介されています。
荒崎氏がここを訪れてから既に40年以上経っていますが、駅本屋は改築されたものの建物自体は変わっていません。線路配置その他、駅構内の様子も当時の面影をよく残しており、実物大の「祖山線」を見ているような気になります。
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(2009.8.10)
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嬉しいことに、機回し線も健在です。
左写真の左側、短いホームは、後から新設されたもの。本来は終着駅の典型として、ホームは片面のみでした。
本屋側のホームは、かなり長いのが特徴です。前述した荒崎氏の記事によれば、20m車7輌分、とのことです。 |
(2009.8.10)
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(2009.8.10)
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わかりにくくて恐縮ですが、線路の奥の草むらの中に、ターンテーブルの跡が残っています。
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(2009.8.10)
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紀州鉄道・西御坊 |
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(2009.9.6)
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廃屋にしか見えない駅本屋。木製の電柱。草むした線路。たまにやってくるのは、当時現役最古のディーゼルカー。
ありふれた飲料水の自動販売機が、ここではすっかり浮いています。
いつまでも眺めていたい、心安らぐ情景です。
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(2009.9.6)
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かつては中間駅で、気動車はこの700m先の日高川まで走っていました。現在もこの区間は、レールがほとんど残っています。
廃止直後は中間駅時代そのままでしたが、現在はご覧の通り、車止めに加えてものものしい柵が設置されています。危険防止のため仕方ないのでしょうが、やや目障りです。
また、写真の左手前が少し広くなっているのは、大和紡績の工場への引き込み線が延びていたからです。
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(2009.9.6)
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上写真の反対側から見た光景。
模型製作のヒントが、いろいろと詰まっています。
気動車の出入り口の部分のみかさ上げしたホーム。よく見ると、ホーム自体も波打っています。その上の駅本屋は大きく傾き、今にも倒壊しそうです。
停車位置のバラストは、オイルで黒く汚れています。
ホーム壁面も、排気で黒ずんでいます。
車止めの先は、日高川へと続く廃線跡。
そのまわりの近代的な住宅が、別世界を形成しています。
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(2009.9.6)
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ホーム側から見た光景。
この枯れた情景は、実に味わい深いものがあります。
模型で、このままの雰囲気を再現できたら素晴らしいのですが。
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(2009.9.6)
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これは、駅の裏口です。
左側が駅本屋で、右の民家との間に人間一人がやっと通れる細い道があります。正確に言うと、道ではなく隙間です。
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島原鉄道・加津佐 |
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(2007.8.2)
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島原半島を、海岸沿いにぐるりと3分の2周して到着した終着駅。
かつて線路はもっと延び、機回し線を形成していました。その頃は、近くの海水浴場へ行く海水浴客で賑わったそうです。また、廃車になった車輌を使ったバンガローも多数あったそうです。
残念ながら、島原外港からこの加津佐までは、2008年に廃線となってしまいました。
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JR久留里線・上総亀山 |
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(2009.3.25)
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国鉄木原線として木更津と大原を結ぶ予定が、夢と消えた終着駅。
左写真の通り、駅の先は行く手を山が遮り、これ以上進むのが難しいことがわかります。
線路配置は『シーナリィガイド』で紹介された時と何ら変わらず、駅本屋やホームも若干の改築以外、当時のままです。
ここも静かで好感の持てる終着駅。駅裏の公園で、気動車のアイドリング音を聞きながら駅弁を食べたこともありました。
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(2009.3.25)
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頑丈な車止めが、線路の終点を強烈に表しています。
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(2009.3.25)
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伊予鉄道・横河原 |
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(1997.8.9)
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初めて訪問したときは、開業当時からの風格ある木造駅舎でした。
歴史のある鉄道だけあって、いかにも「昔の汽車の駅」といった風格を感じました。
22年後の2019年に再訪したら、旧駅舎は跡形もなく、右写真のような斬新な建物になっていました。
日常的な利用者にとってはむろんこの方が良いのですが、趣味的には残念です。 |
(2019.8.12)
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(1997.8.9)
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ホーム側はご覧の通り。
横河原線は戦後かなり後までディーゼル機関車牽引の列車だったので、機回し線や側線もありましたが、現在は電車のみなので棒線化されています。
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(1997.8.9)
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JR烏山線・烏山 |
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(2009.4.10)
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盲腸線の終点ですが、延長予定があったため、中間駅のような感じです。Yポイントで分かれた先に、相対式ホームがあります。貨物ホームと側線は、既に撤去されています。
駅前は昔ながらの町、駅裏には製材所などが並ぶところがいかにも地方の終着駅です。かつては、木材の積み出しなどもあったことでしょう。
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(2009.4.10)
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平地の終点なので、線路はもっと先へ伸びて行きたそうに見えます。
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(2009.4.10)
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和歌山電鐵・貴志 |
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(2009.9.6)
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近年まで南海電鉄の一支線でしたが、元々は地方私鉄だっただけに、片面ホームと側線1本の簡素な終着駅です。まさに模型向きと言えるでしょう。
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(2009.9.6)
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(2009.9.6)
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駅本屋は左写真の通り、至って平凡な造り。
貴志駅を有名にしたのは、ご存じ「タマ駅長」です。訪問した日は日曜日だったので、あいにくお休みでした。
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(2009.9.6)
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大井川鐵道・井川 |
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(2009.3.28)
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元々ダム建設のための鉄道だったので、周辺にはダム以外、土産物屋しかありません。山奥ではありますが、人工的で、やや冷たい感じの終着駅です。
井川の集落は遙かに離れ、地元の方は車を使って移動します。乗客のほとんどは、観光客です。
左写真で右に分岐する線路は、現在引き上げ線となっていますが、かつては堂平まで伸びる貨物線でした。
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(2009.3.28)
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万葉線・越の潟 |
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(2009.8.11)
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かつての富山地方鉄道射水線が、富山新港掘削のため分断され、高岡側が加越能鉄道へ譲渡されました。その結果、終点となった駅です。
もともと大きな町があったりしたわけではないので、周辺は倉庫や工場が目立ち、人家は少数です。従って、鉄道の乗客はまばらです。
なお、加越能鉄道時代は一面二線で、向かって左側の線路を使っていましたが、第三セクター化されてからは右側を使っています。
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(2009.8.11)
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分断された鉄道の代替として、道路一本挟んだ向かい側からは、県営の渡船が出ます。
無料で乗れますが、乗客はあまり多くありません。
左写真の背後に写っているように、現在立派な道路を建設中なので、これが出来れば渡船も廃止されてしまうかもしれません。
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(2009.8.11)
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