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(琴平 1998.8.11)
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日本の鉄道網は、戦前にはほぼ完成していました。
戦前の日本人は、神社仏閣へ詣でる習慣が、相当強くありました。そのために、参拝客を運ぶためにわざわざ鉄道を敷いたり、駅を設けたりしました。左写真の「こんぴらさん」のように、鉄道省に加えて私鉄が3路線も建設された例さえあります。
現代ではそうした習慣は薄れた上、参拝客の多くは自動車を利用するようになりました。そこで、参拝客のための路線や駅の中には、地元住民のためだけの存在になったり、乗客が減って廃止されたりしている場合もあります。
でも、趣味的に見るとそうした駅は、落ち着きのある情景があって良いものです。また、かつての栄華を偲ばせる枯れた雰囲気があり、模型心をくすぐられます。
駅本屋の造りも、神社仏閣を模した様式の場合が多く、通常の駅とは趣が異なって面白味があります。
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高松琴平電鉄・琴電琴平 |
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(1997.8.7)
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琴平への私鉄3路線のうち、現存するのは高松琴平電鉄のみ。でも、著名な観光地だけあって、今でも乗降客が多い駅です。
上写真のJR琴平駅とは雰囲気の異なる、和洋折衷様式の駅本屋を構えています。
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(1997.8.7)
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駅本屋の後ろには何故か櫓がそびえ立ち、その先に1面2線のホームがあります。
駅を出て橋を渡ると、土産物屋や飲食店、旅館などがズラリと並んでいて、なかなかの賑わいです。
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京福電気鉄道・永平寺
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(1999.8.21)
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盛業中の琴電琴平とは対照的に、わびしい雰囲気だったのが永平寺駅。著名な観光地である点は、同じなのですが。
線路配置は、相対式ホームを持つ2面2線。でも、2番線は使われなくなって久しいようで、レールは錆び、ホームは雑草に加えて苔に覆われている状態でした。
電車は単行で、1時間に1本しか来ませんでした。
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(1999.8.21)
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永平寺の駅本屋は、ご覧の通り地方私鉄の支線とは思えない巨大な建物です。
駅の正面は参道で、そのまま永平寺へ歩いて行けます。
参拝客輸送にとっては絶好の位置にありますが、この当時すでにほとんどの参拝客はバスや自家用車で来ていて、電車はガラガラでした。
その後、永平寺線では不幸な正面衝突事故が起き、廃線となってしまいました。
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北陸鉄道・加賀一の宮 |
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(2009.8.10)
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名勝への下車駅だけあり、神社風の重厚な駅本屋を持つ駅でした。
ここは本来、中間駅でしたが、金名線の部分廃止で終点になったのです。
かつては相対式ホームの交換駅でしたが、路線短縮後は棒線化され、ホームも本屋側のみとなりました。
年末年始は初詣客で大変な賑わいだったようですが、ふだんは閑散としていました。駅本屋は立派でも、無人駅でした。周辺には人家が数えるほどしかないので、仕方ないのでしょう。
でも、静かで落ち着いた雰囲気のある、いい駅でした。
2009年10月31日、再度の路線短縮で、当駅に電車が来ることは永久になくなりました。 |
(2009.8.10)
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右写真の通り、架線柱は複線分あり、線路は草むらへと消えていきます。
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(2009.8.10)
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一畑電車・出雲大社前 |
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(2000.7.30)
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出雲大社は戦前の日本にとって極めて重要な神社でしたから、複数の路線が建設されました。鉄道省、後の国鉄の大社線と、一畑電鉄です。大社線は戦後もしばらくは利用客が多く、寝台特急「出雲」が乗り入れていたほどです。
現存するのは一畑電鉄のみ。こちらもやはり、観光客の多くはバスか自動車を利用するのが現状です。
さて、特異なのは駅本屋の形態です。イスラームのモスクのような建築で、丸い屋根は緑色です。ステンドグラスがある駅なんて、他に例があるのでしょうか。
なんでも、国鉄大社駅が純和風建築なので、それに対抗してこんな様式になったとか。
ちなみに、国鉄大社駅は保存されているので、比較してみるのも一興です。
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(2000.7.30)
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線路配置は1面2線ですが、ホームの幅が非常に広く、側線もあります。
こちらもかつては、相当多数の乗客で賑わったのでしょう。
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