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2021.2.6新設 |
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乗ろうと思えば乗れたはずなのに、ついに機会が無いまま消えてしまった鉄道は、かなりあります。
私にとってその最たるものが、加悦鉄道と別府鉄道でした。
どちらも小学生の頃、『鉄道ピクトリアル』誌で知り、ぜひ訪問したいと願い続けていた魅力的な小私鉄でした。
小型の古典車両が現役で、貨物輸送が健在。平凡な沿線風景と、独特のストラクチャー。
何より、時代に取り残されたようなのどかな雰囲気が、私の心をとらえたのです。
でも、どちらの鉄道も関東在住の私には遠くて、「いつか行こう」と思っているうちに廃止されてしまいました。
幸い、加悦鉄道は営業線終点の加悦駅が「加悦SL広場」となり、廃線時に残っていた車輌が保存されました。
その後、加悦駅は町役場の加悦庁舎になり、SL広場は1996年、加悦駅から延びていた休止中の貨物線の終点、大江山鉱山駅跡地に移転しました。
移転直後に初訪問したときは、貴重な古典車輌の数々がきれいに整備され、車内にまで立ち入ることのできる素晴らしい展示方法に感動し、時の経つのを忘れる思いでした。
やがてキハ101やDB201が動態保存車として復活し、他の鉄道から譲り受けた展示車両も増えて、魅力は倍増しました。年に2回、5月と11月には動態保存車が運転され、乗車もできるようになりました。
私のような小私鉄ファンには、まさに楽園だったのです。
こんな素敵な施設を維持するため、長年にわたり修復や保存活動に取り組んでいらした加悦SL広場の皆さま、加悦鉄道保存会の皆さまの多大なご尽力には、頭が下がります。
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2019年の年末、加悦SL広場が閉園するらしいと報道されました。
まさに青天の霹靂です。
でも思い返してみると、予兆はありました。
「カフェトレイン蒸気屋」「カフェショップ蒸気屋」が閉店となり、閉園日も増えました。良好だった展示車輌の状態も、一部で劣化が目立つようになっていました。
翌2020年2月17日、運営する宮津海陸運輸株式会社より、3月31日をもって加悦SL広場が閉園になると発表されました。
コロナ禍で旅行が難しい中、あっという間に閉園となり、名残を惜しむ時間も十分にありませんでした。
廃線前と同じで、「もっと行けば良かった」「もっと写真を撮るべきだった」と後悔しても、後の祭り。
せめて手元の写真をサイトに載せて、在りし日を偲びたいと思います。
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加悦SL広場は元大江山鉱山駅ですので、平地ではなく、周囲より少し高い場所にありました。
ここまでは京都丹後鉄道宮豊線与謝野駅から路線バスに乗り、「SL広場西」バス停で降りて10分ほど歩きます。バスは概ね旧加悦鉄道の廃線跡に沿って走りますが、本数が極端に少ない上、いつ乗ってもガラガラで、鉄道が廃止されたのも無理はないと感じられました。
もっとも、周辺の人家は意外と多く、クルマ社会の現実を突きつけられる思いもしました。
加悦鉄道の廃線跡はサイクリングロードになっていて、時間のあるときにここまで歩いたこともあります。
入り口には加悦駅を模した建物があり、1階は事務所と待合室、2階は資料館となっていました。
一見、旧加悦駅本屋に見えますが移転時に新築したもので、本物は加悦駅跡地の近くに加悦鉄道保存会の資料館として健在です。
来場者は、ここで入場券を買って入ります。
「周年祭」などのイベント時には園内から子どもの声や音楽が聞こえてきましたが、通常は至って静かな施設でした。
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駐車場の入り口に立てられていたモニュメント。
2号蒸機が牽く木造客車2輌が、立派な鉄橋を渡っています。
写真の左側、道路を渡った先は大江山鉱山の跡地で、巨大な煙突などの遺構が残っていました。
写真には写っていませんが、道路を渡った鉱山跡地には道の駅もあり、地元の産物を買うことができました。
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駅本屋を模した入り口の左側に建つ平屋は、「カフェショップ蒸気屋」です。
かつては土産物各種を販売し、建物に向かって右側では焼きたてのパンも売っていました。
2018年に閉店し、すっかり寂しくなりましたが、「周年祭」のときだけは店の軒下に焼きそばなどの出店が出て、賑わいました。
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駐車場に面して、3輌の電車が保存されていました。
まずは南海電気鉄道のモハ1202。加悦鉄道とは直接関係なく、移転の際に保存車として受け入れた車輌です。
当初は休憩所として使われていましたが、末期はご覧の通り荒廃し、車内への立ち入りはできませんでした。
右隣に連結されているのは、元東急のサハ3104。こちらは加悦鉄道で客車として使用され、その後休憩所になっていた車輌です。
移転後は「カフェレストラン蒸気屋」となり、カレーライスやパスタなどを車内で食べることができました。
写真は閉店後です。
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駐車場の道路側に保存されていたのは、京都市電N5号。いわゆるN電で、閉園した宝塚ファミリーランドから移設された車輌です。
この地に来たのは2003年で、保存車の中では最も新しいのですが、木造車で雨ざらしだったため、末期はやはり車内には入れず、車体の痛みが目立ちました。
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園内に入って最初に展示されているのが、2輌の蒸機と2輌の木造2軸客車です。
2号蒸機は1873年ロバート・スティーブンソン社製という大変貴重な車輌。日本の鉄道の黎明期、阪神間の開通時に走った機関車です。
いかにもイギリスの名門企業製らしい、上品でスマートな機関車です。
移転当時は雨ざらしでしたが、後にご覧の通り屋根が設置されました。
、写真は少々撮りにくくなってしまいましたが、保存のためには仕方ないですね。
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後ろに連結しているハ4995はコンパートメント式の、いわゆるマッチ箱客車。これも黎明期の客車で、1893年鉄道作業局新橋工場製。他でこのタイプの客車は交通博物館でしか見た事がありません。
こんな古典客車なのに、車内へ自由に入れるのも驚異でした。
着席すると、100年以上前の世界へタイムスリップしたような気分になります。
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1261号蒸機は、1923年日本車輌製。
いかにも日車製らしい、整ったスタイルです。いつの日か、模型化したいと思っています。
空制化されて以後、側面が物々しくなっていて、そこがまた魅力的です。
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1261号機の後ろに連結されているハブ3は、1889年にドイツのバンデルチーベン社製。昔の地方私鉄でよく見られた、合造車です。
車内はご覧の通り荷物室と客室が仕切られ、客席は背ずりの無いロングシートでした。
荷物室の妻面には、ブレーキハンドルが見えます。
この続きは近日中にアップします。 |
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